法話
神仏(かみほとけ)おのが心にましますに 他をいのるこそあわれなりけり (黒住宗忠師の道歌) 神仏に掌を合わせる時。 同時に自分の心の中の神仏に掌を合わせているのです。 それに気がつかないで、うっかりと 自分の心の中の神仏を捨ててはいないか? 不徳…
なぜ心を落ち着けて安心を取り戻すのが必要かといえば、行き詰まった時に、不安感が強いままだと適切な判断ができなくなるからである。 人は自分の心の状態を外界に移し出す。これを投影という。 心の中が不安であると外界が不安でいっぱいに感じるのだ。し…
生きていると色んなことがある。当然だ。 いつも言うが順風満帆ということはない。 人それぞれ大なり小なりいろんなことがある。これがこの娑婆世界。娑婆は忍土と訳され、耐え忍ばなければならない場所という意味。 さて人生行き詰まった時どうするか。 私…
しばしば家族や知人が危篤の時にどういう風に拝んだら良いかと尋ねられることがある。 まず、仏法僧の三宝に帰依する。 下記のブログ記事の偈を唱える https://oomorigijyou.hatenablog.com/entry/2024/01/01/000004 そして、自分の信仰をする仏様の真言を唱…
弟子某甲(でしむこう) 尽未来際(じんみらいさい) 帰依仏(きえぶつ) 帰依法(きえほう) 帰依僧(きえそう) 以上を三度繰り返して唱える 仏教の最も基本であり、重要なことは仏法僧の三宝(さんぽう)への帰依(きえ)である。 三宝への帰依は衆善万行…
供養や修行のときの心得。 自分が拝んでいる間はそこに仏教守護の諸天善神が降臨していると信じて、不敬な態度を取らないことである。 金剛経をはじめ諸経典には、読経の所には、守護の諸天善神が降臨が説かれている。それが前提である。 それが例え、外出先…
自分の帰依する神仏にお任せする。 それはどういう心持ちか。 『お稲荷さんと霊能者』の中で、砂澤先生の話として「お稲荷さんは生き神様です。もたれかかったらそれにこたえてくださいます」とある。 ここが肝。 本当にもたれかかれるか? (誤解してはなら…
人(生物)は必ず亡くなります。これは真理です。 誰かが亡くなったとき、強いショックをうけたり、悲しみや後悔、罪悪感を感じるのは当たり前です。 一方、何も感じなかったり、怒りをかんじて、それを自分や他者にぶつけることもあります。これらはすべて…
これは修養団体、紫雲荘を主催していた故橋本徹馬先生のお言葉。 私は信仰は狂信的になるのは間違いだと思っております。例えば、それに没頭して肝心のやるべきことを怠るなどです。あるいは宗教教団の言われるがままに献金して身を持ち崩すなどです。 ただ…
祈願成就のコツはたくさんあると思うが、なかでも私が一番大事だと思うのは、神仏に自分を合わせることである。 今までの経験の中で、祈願が成就しないという人をみてると、だいたい神仏を自分に合わさせようとしている。(もちろん、それだけではなく、その…
先祖供養をやめたら障碍があるかという質問がありました。 私はないと思います。 先ず障碍の主な原因は自分自身の煩悩だからです。 内なる煩悩が外にあるものと共鳴します。 大正時代に活躍した霊覚者、泉聖天尊は、先祖が祟ることはないが、何かを気づかせ…
よくこういう質問がある。 儀軌には108遍とか1080遍とか目安が説かれている。 それではそう唱えないと功徳がないのか、といえばそんなこともない。 一遍となえて功徳がないものは、千回、万回となえても功徳はないだろう。 自分でできる回数を決めて…
神仏にお任せすると、自分の心の負担が減る。ゆえに心が安らかになる。 その分だけ無駄な思考や妄想にエネルギーがとられない。 すると、現実的に必要な行動に意識が行き、行動も順調になる。 ただし「任せる」と言っても、何もしないわけではない(時に何も…
先般ある阿闍梨の伝授をうけたとき、 「けっしてこの仏様はこれが得意で、これが不得手などと思ってはいけない。それは仏様を軽んじることである。どの仏様も万徳を具えているという意識が大切である」 と教戒された。 たしかにその通りだと再認識した。 ご…
ご利益があったにもかかわらず、 その後うまくいかないという話をしばしば耳にする。 そういうときに大事なのは、 ①焦らないこと ②信仰を捨てないこと そして、 ③安心があるかと顧みること である。 ここでの安心は神仏にこころをすえている。 そして、神仏…
「心を穏やかにする」とは言うものの、「心を穏やかにしなければならない」 わけではありません。 怒っている時、悲しんでいる時、落ち込んでいる時。嫌悪感、罪悪感を抱いている時などなど そういう時に「心を穏やかに」と言ってもかなり難しいと思います。…
高野山の管長で、今大師と呼ばれ、多くの方から尊敬を集めた金山穆韶師が日々どのような修養をつまれていたか、その著作からご紹介する。 私は幸いに金山師から伝授を受けた阿闍梨や、さらに同様の方から受法された阿闍梨から、ある法を授かり、日々修行して…
神仏に恐れを感じることがある。 それは大事である。 なぜか。 自分を慎むようになるからだ。 悪事を抑制する作用がある。 ただし、注意が必要。 それは神仏を自分を罰する存在に仕立てないこと。 神仏の罰ということにして、じつは自分が自分を罰しているの…
七仏通戒偈は仏教の重要な教えである。 諸悪莫作(しょあくまくさ) ― もろもろの悪を作すこと莫(な)く 衆善奉行(しゅぜんぶぎょう) ― もろもろの善を行い 自浄其意(じじょうごい) ― 自ら其の意(こころ)を浄くす 是諸仏教(ぜしょぶっきょう) ― 是…
人間でいる限り、老いて、病んで、死ぬのはこの世の真理である。 古今東西、いかなる聖者、いかなるカリスマ教祖でもこれを免れた人はいない。 ぎっくり腰で起居が不自由になり、杖を買った。 これにすがると痛いながらも、起居ができる。 若いときには気づ…
oomorigijyou.hatenablog.com
お葬式の意味は - 金翅鳥院様のブログから お葬式の意味は - 金翅鳥院のブログ 羽田先生が天台宗のご葬儀について述べているので、参考までに真言宗の葬儀について少し触れたいと思います。 真言宗のご葬儀は大まかに言うと二段階にわかれています。 はじめ…
霊感が強くて困るという話を聞く。 それが嫌なので無くしたいという。 この悩みの人は意外と多い。 そして他人にはなかなか理解してもらえない孤独な悩みである。 私の身内でもそういう悩みのものがいた。 いたというのは、その霊感が無くなったから過去形な…
誰かのことで悩むことはよくあることだ。 ある意味、よくも悪くも共感や同感しているのである。 むしろその力が弱いと、きわめて利己的な人となる。 この力が適切であると、慈悲になる。 ところがなんでも、バランスが大切。 誰かのことで悩みすぎると、自分…
あたまでおがむより、からだでおがむ 真言を唱えながら ほとけさまの尊い御姿を拝していると 自分のからだのなかに ほのかなやすらぎを感じる ほとけさまのうごきを感じることも すると、あれこれと考えるのが自然に少しおさまる 「仏像に向かってお経を唱え…
阿弥陀如来の極楽浄土や弥勒菩薩の兜率浄土は一体どこに あるのだろうか? 高祖弘法大師は 「安楽都史(あんらくとし)は本来(もとよりこのかた)胸中なり(性霊集)」 と述べられている。 安楽は極楽浄土、都史は兜率浄土のこと。 浄土はもとから自身の胸…
言葉は心を作ると、ある心理学者から伺った。 話す言葉で心も人相も変わってくるから不思議だ。 真言宗は身口意の三密を旨とするにも関わらず、中でも口密である真言を表にして「真言宗」を標榜する。 これまた別の臨床心理の学者から伺ったのだが、私たちの…
これは宗教家、故橋本徹馬師のことば。 私が21歳のとき一週間の断食をしたのだが、その断食道場においてあった「神人一体の自覚」という本の巻末に掲載されていた。(この本は絶版) 橋本師は政治評論家から宗教家に転身されたかたで、断食、滝行、四国遍路…
昔、子どものころ転んでひざを擦りむいた。 ほったらかしにしていたら、化膿して病院に通った記憶がある。 単に消毒するよりも、すぐに傷口をしっかり水道水で洗うのがよいのだ。 すると傷に入ったゴミや菌なども洗い流してくれる。 しかし、流水に傷をあて…
しばしば、「何の真言や陀羅尼、修法が一番良く効くのか?」という質問を受ける。 答えは簡単、自分が心の底から信じている真言が、一番良く効くのである。 しかし、これをすぐに合点して、実践できる人は、かなりの達人。 そこに到達するために、あれこれ修…