大森義成 滅罪生善道場 密教 善龍庵

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なぜ手向け水をするのか?

墓地にいくと、かならず井戸や水道の水場があり、側には手向け水用の桶と柄杓が用意されている。墓参といえば手向け水が前提にあるからだろう。

 

あまりに当たり前すぎて、最近、巷にはさまざまな珍説があるようだ。

 

密教の視点で、手向け水の意義を説くと、水は仏さまの智恵をあらわす。これを先祖や故人の象徴である墓石や経木塔婆などにかけるのは、仏さまの智恵のはたらきで先祖等が菩提心をおこすことを意味している。

 

それはちょうど植物の種に水をあたえると、発芽するように、仏さまの智恵の水には、先祖など各位が、本来もっている菩提心を開発(かいほつ)させる功徳があるのだ。

 

だから、水を墓石にかけるときには、光明真言や一字水輪観の真言(ノウマクサンマンダ ボダナン  バン)などを七回以上唱えて、仏さまに加持を乞いながらかけると一層よい。

 

一方、水かけ地蔵や水かけ不動などは、浴像という行事がもとである。インド由来のこの行事は弘法大師もつたえていて、災いを除くなどの功徳がある。よくしられるのは4月8日のお釈迦様の降誕を模して甘茶をかける「灌仏会(かんぶつえ)」通称、花まつりだろう。