毘沙門天や十二神将、大黒天、弁才天、青面金剛、訶梨帝母、ダキニ天、龍神、稲荷明神といった天部を信仰されるかたは、その供養と同時に、定期的に施餓鬼供養をするとよい。(懇意の行者がいれば依頼するとよいと思う)
写真は善龍庵の大黒天
なぜかといえば、部下である眷属に実類の夜叉、鬼神。または自然霊が多いからだ。
得てして親分であるそれらの天部には、様々な供物を捧げ、熱心に礼拝するが、なかなか子分にまでは気が回らない。
私の恩師の某大僧正は、ダキニ天を守護神にしていたが、その力でボロボロのお寺を3つ立派にした。師はダキニ天の前で施餓鬼供養をくりかえしていた。
恩師いわく、天部に祈願して利益をさずかるときに、実際に動くのはその眷族の夜叉や鬼神であるとの事。親分にばかり供養するのではなく、普段から子分たちにも気をつかって施餓鬼供養を繰り返しておくことは大切だと。(施餓鬼供養は、餓鬼のみならず夜叉や鬼神や山川地主などの精霊も供養する)
なるほど実際、護摩修法でもおわった後に道場の外に神供壇(じんぐだん)をもうけて、護摩で供養を受けることができない、実類の天部や眷属たちに供養する。ある意味施餓鬼に相応する。これが一切の法の成就に欠かせないことは、諸儀軌(密教のテキスト)にも記されている。
そして仏教守護神である天部の神霊が、わざわざ力を貸して、願主に現世利益をあたえるのは、仏教の信仰者を助けることが自分たちの功徳になるからであると。
それなのに、せっかく利益をあたえても願主がそれをもとに功徳をつむなり、修行につかわなければ、いずれは天部たちも力を貸さなくなり、利益がなくなると教えられた。
とかく天部の信仰を一代信仰という由縁であろう。
佛教修行の基礎は布施である。これは六波羅蜜のはじめが檀波羅蜜(だんぱらみつ=布施)であることからもわかる。なかでも飢渇に苦しむもろもろの餓鬼たちに供養する施餓鬼は、慈悲実践の菩薩行であり、布施の随一と呼ばれている。
だから施餓鬼供養をすることは、仏教守護神である天部の意に大いに沿うことになる。
そして、その部下の膨大な眷属たちも、その法味にあずかれるという功徳もあるのだ。
その証拠に、施餓鬼のテキストである『仏説救抜焔口餓鬼陀羅尼経(ぶつせつ くばつ えんくがき だらにきょう)』には、施餓鬼供養の功徳として
「つねに諸仏に憶念称讃せられて、つねに諸天善神に来りて擁護し、檀波羅蜜を満足することを為す」
と如法(テキストに基づき略さない)の施餓鬼供養の功徳を説いている。
※大森義成に施餓鬼供養を依頼希望のかたは下記アドレスまでメールください。詳しい要項を送ります。
当庵では七座にわたり如法にご供養し、あわせて尊勝陀羅尼をとなえて施主の滅罪生善を祈念します。
なお、施餓鬼供養に関すること以外はお返事できませんので悪しからずご了承ください。
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