これは、ミャンマーの瞑想指導者から伺った話。
彼には先天的に霊能力があり、瞑想修行するようになってから、それに磨きがかかったそうだ。
ある日、用事があって町を歩いていたら、とある家のまわりを、大人の男性の餓鬼がぐるぐる回っているという。
これは人でないことがわかったので、いぶかしく思い、その家の隣の方に訪ねてみると、つい数日まえにそこの主人がなくなったばかりだという。
そこで、通力でその餓鬼にたずねたら、遺族があまりに哀しむので、そこに引かれて餓鬼に転生して、家の回りをまわっているのだと。
さて、この話が事実なのか確かめるすべはない。
遺族感情として、大切なかたを亡くしたら、悲しいのはある意味当たり前である(状況において悲しめない場合があるのも無理はない。身内や大切なかたをなくしたときの感情はきわめて複雑なのだ)
グリーフケアの観点からも、適切に悲しむことの必要性が説かれている。
私の関わった事例から考えると、なんとか喪失の悲しみ(時には怒りや無力感なども)落ち着くのには、個人差はあるが、だいたい七回忌から十三回忌(6年から12年)くらいの時間が必要だと思う。
一方、「いつまでも悲しんでいては、故人が浮かばれないと人から聞いた。そう思うと気が気でない」という相談を受けることがよくある。
私は、そんなとき悲しいのは故人と深い繋がりがある証だから、悲しむのはある意味あたりまえ。それと同時に、思い付いたら合掌して故人が「安らかでありますように」と念じ、光明真言などを唱えて供養してください。そして、ときには施餓鬼供養をして功徳を送ってあげてはいかがですか、と追善を勧めている。
弘法大師も「朝夕に涙を流し、朝夕に慟(いた)みを含むといえども、亡魂に益なし」(性霊集)といわれ、供養の必要なることを説いている。
※大森義成に施餓鬼供養を依頼希望のかたは下記アドレスまでメールください。
詳しい要項を送ります。
当庵では七座にわたりお経に基づき如法にご供養し、あわせて尊勝陀羅尼をとなえて施主の滅罪生善を祈念します。供養は継続することが可能です。
なお、施餓鬼供養に関すること以外はお返事できませんので悪しからずご了承ください。
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