「餓鬼事経」に出てくるお話。
生前ケチで悪業多く、死後、餓鬼にうまれた男がいた。
たまたま、自分の娘が信仰心があり、バラモン(インドの司祭)にお布施をした功徳を、亡き父親に回向しようと考えていた。(密教が人間界に伝えられてないときは、直接餓鬼を救う法がないので、高僧などにお布施をした功徳を指定した餓鬼に回向していた)
それを知って期待した餓鬼は、夜中のうちに空をとび、その布施の場所へと急いだ。
途中、マカダ国の王舎城にさしかかったとき、城の最上階にいたアジャセ王と出会い話をする。
餓鬼のいきさつを聞いたアジャセ王は、娘の供養がおわったらこっちに戻ってこい、自分もおまえに供養をしようと告げる。
「そうします」と、つげて餓鬼はさり、目的の場所へといったが、残念ながら、娘が布施をしたバラモンはそれにふさわしい方ではなく、餓鬼の苦しみをすくう功徳にはならなかった。
肩透かしをくった餓鬼は、アジャセ王に「お釈迦様とその出家した弟子たちの集まりである僧伽に衣と食事をお布施してください。そして、その功徳を私のために回向して下さい」と頼んだ。
早速、アジャセ王はそれを実践して餓鬼に回向した。
すると、餓鬼はその功徳で四天王の眷属の夜叉に生まれ変わり、美しい姿と神通力を手にいれ、たいへん喜んだという。
この話には
①餓鬼が自分を供養してくれることをあらかじめ察知できる。そして、それを喜んでいる。
②餓鬼には飛行の力があるものがいる。
③通りすがりの餓鬼に回向しても功徳がある。
④即座に毘沙門天を主とする四天王の眷族に生まれ変われる。
⑤供養に値しない司祭では、餓鬼が浮かばれない。
など、餓鬼の有り様がわかり興味深い。
いまの日本には僧伽がないから、この当時の方法では餓鬼に回向できないが、幸いに密教の施餓鬼作法があるので如来加持力によって餓鬼は浮かばれるのである。「法」の力は、ありがたいものである。
昔人相の先生に伺ったが、年忌などの法事がちかずくと、親族の額に供養の相がでるそうである。法事が終わると消えるそうだ。
やはり、霊は供養を心待ちにしているのだろう。一度供養しようと思っても、実行しないとがっかりしてるかも知れない。
※当庵では七座にわたりお経に基づき如法にご供養し、あわせて尊勝陀羅尼をとなえて施主の滅罪生善を祈念します。供養は継続することが可能です。
なお、施餓鬼供養に関すること以外はお返事できませんので悪しからずご了承ください。
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