これは、私が関西地方のあるお寺にいたときのこと。そこは、もとは村の辻堂だった。そこに戦後のどさくさで住み着いた行者が、住職(故人)になってお寺とした所だった。
その住職は、私があったときは80歳くらいで、なかなか祈祷が達者だった。密教の修法というよりは、太鼓を叩いて権現様をひたすら拝んでいた。
総代からきいた話では若い時の霊感はすごかったそうだが、「先生は欲がでてきたせいか、最近は昔ほどではないなぁ」などと陰口を叩かれていた。
家や仕事場で、金品がなくなると、誰が盗んだか教えてくれ!と失せ物のお伺いがよくあったそうだ。それが当たるもので、逆に文句をつけてくるひとがいたとのことだった。
まあなんにせよ、その辻堂を中心に近隣の土地を入手して、寺領をひろげ、大勢の信者を集め、ある本山の末寺として登録し、宗教法人にまでしたのだから、大した力量である。
しかし、その寺は致命的な悩みを抱えていた。それは宗教法人の所在地である辻堂の土地建物の所有者が、以前にそのお堂を管理していた隣家の名義になっていたことだ。
こんなことは、現代ではあり得ない話なである。しかし、なにせ戦後のどさくさで、誰もが宗教法人を取れた時代の負の遺産だったのだ。(むかしは借りた物件でも法人をとれたらしい)
実はその隣家には、住職から土地建物売買の代金が納めてあり、手書きの証文もあった。しかし、昔のことで、必要な手続きをせず、何十年も放置されたままだった。
祈祷には達者な住職だったが、世事にはうとかった。そこで、わたしが総代たちとともに、隣家に交渉しに行った。しかし、全く話し合いが着かず物わかれとなった。
これには、私もたいへん憤りを感じ、本山の庶務部長や宗教法人の所轄官庁などに相談にいったが、なにも解決索を見いだせなかった。
さしもの住職の祈祷も、自分の難事にはまったく歯が立たなかった。
これは、何か背後に霊的なものがあるのではないかと思い、私はその土地にまつわる霊の施餓鬼供養をはじめた。実はその土地の隣には古墳のような木のはえた塚あり、古いお墓がそのうえに何基もたっていたのだった。
住職は祈祷は得意だが、供養はほとんどせず。 朝のお勤めもしない方だった。
私は毎日の施餓鬼供養とともに、本堂で宝篋印陀羅尼などを念誦しておがんだ。
すると、ふとしたご縁で知り合った人が腕利きの弁護士を紹介してくださり、あれよあれよと言う間に解決したのだった。
私はこれは、施餓鬼供養の功徳であると信じている。土地にゆかりの霊たちが納得したので、この寺に辻堂を使うことを許したのだろう。
施餓鬼供養による滅罪の力により、真の利益を授かることができたのである。
※大森義成に施餓鬼供養を依頼希望のかたは下記アドレスまでメールください。詳しい要項を送ります。
当庵では七座にわたりご供養し、あわせて尊勝陀羅尼をとなえて施主の滅罪生善を祈念します。
なお、施餓鬼供養に関すること以外はお返事できませんので悪しからずご了承ください。
oomorigijyou-segaki@yahoo.co.jp
宝篋印陀羅尼の刻まれた石塔