兵庫県の淡路島に八浄寺というお寺がある。その住職であった故岩坪眞弘師が書かれた『花開く天地いっぱい総がかり』という本に、同師が体験された不思議な話が掲載されている。それを二回にわけて引用、紹介しよう。
この本は、岩坪師が高野山大学でおこなった「住職学」の授業をまとめたものである。
私は岩坪師には一度だけ、挨拶程度だったが、お会いしたことがある。同師が師事していた三井英光大僧正の回顧録『菩提への思慕』を見ず知らずの私にまで下さり、たいへん有り難かった。
さて、同著によれば、岩坪師は、弁財天のお告げで高野山から当時貧寺だった八浄寺に入られた。しかし、色々努力してもなかなか芽が出ずに、もう夜逃げしてしまおうかと追い詰められたとき、またもや弁財天の導きで切り抜けて、いまのお寺を復興した話がある。
岩坪師が八浄寺に入ってからのこと、以下本文引用。
追い詰められ再び弁財天の導きに
そして、心から仏様に祈り、檀信徒の皆さんに喜んでもらえるよう、布教伝道の色々な計画を立て、必死に努力した。
ところが食べていけない。八浄寺の前の住職夫婦は高校の先生だった。
私は二足のワラジは嫌だ、僧侶なら僧侶の道だけを進みたかった。食べて行けなくともその決心をしているから必死になってやった。やってもやっても長い間、住職が不在だったので檀家の心が離れてしまって、お寺に心を向けてもらえず、絆を深くしていくということは大変だった。
これはもう夜逃げしかない私。住職になった時いつでも出られるように網代笠と金剛杖の遍路の旅支度を整えていた。裸一貫で路頭に出られるよう段取りがしてあった。
何かの時には、お大師さまのように全国流浪の旅に出ればいいと思っていた。もう覚悟を決めていた。
ところが、ある話を思い出した。大阪の茨木に弁天宗というところがあり、大森智辯尊女という教祖様(義成注、故人、高校野球で有名な智弁学園の創始者)が日本一の霊能者ということで、松下幸之助さんや笹川良一さん、いろいろな芸能人や有名人が皆お告げをもらいに行っていた。
私も一度そこへ行って、寺を出た方がいいか、おった方がいいか、もし我慢すれば自分の思う通りの寺になっていくか、そんなことをまだ若いからお伺いを立てることにした。
早朝に出かけて茨木に行ったら、たくさんの人が並んでいる。教祖様は一人で見なければいけないので、何百人来ても1日に80人しかお伺いが立てられない。自分は夜逃げの瀬戸際なので一度で当ててもらわなければ困る。午前9時になったらくじ引きが始まり、当たった人が喜んでいる。
皆さん遠くから来ているので、当たらなかった人は近くの宿屋に泊まって、また翌日に出直してくる。
当時、弁天宗の総長をしていた現在の管長さんが、高野山大学の先輩で知っていた。
そこで玄関から入ってご本人と久しぶりに会って事情を話すと「よっしゃお前に当たるようにしてやる」と言ってくれた。
そのおかげで当たった。
広い本堂の中に入ると、が待っている。順番が来ると一人ずつ教祖様の前に座る。私の前の方は大阪の若いご夫人で、「あなたは大阪の三軒長屋の真ん中に住んでいるでしょう。そこのところに古井戸があるでしょ。」「そうです。おっしゃる通りです」もう本当によく当たっている。「はい、お次」と言われて教祖様の前に座った。
「あなたはお坊さんじゃろ、お坊さんが夜逃げとは何事じゃ」いきなり言われた。
「今から私の言うことを信じるか信じないか、人間はどんなに正しく生きても、どんなに信心しても、それは可能にならない世界もある。
それは何でか、アスファルトのところに石ころだらけのところに、世界一の花が咲くという種をもらっても芽は出ない。ちょうどあなたのお寺は石ころだらけで、因縁がいっぱいある。
だから、あなたは正直に、真面目に祈り、やるけれども芽が出てこない。理由を今から教えてあげる。あなたのお寺からは海が見えて、真東を向いておるだろう。」
「そうです」
「その東に向いてる本堂に向かって右手の西北のところに、仏様がいっぱい埋まってる姿が見える」
そうおっしゃるが、西北の隅と言ったら井戸があり、お風呂があり炊事場があるので、そういうところに仏様が埋まっているはずはないと思った。
すると「あなた疑っておるじゃろ。それなら今度は当たるよ。本堂のな左の所に押入れがある。その押入れのところに何かパッキンケースのようなものの中に仏様の名前を書いた板のようなものが放り込んである。そうじゃろ」と言われ、はっとした。
本堂の裏に古い位牌壇があり、以前開けてみたところ位牌がいっぱい放り込んであるのを見つけたことがあった。
五十回忌を終える頃になると位牌を皆、上げをしてしまうので、そうした位牌がゴミのように放り込まれていた。それは見たとき、もったいないことだと思って、いつか撥遣(義成注、はっけん、性根抜きのこと)作法して処置しなければいけないと思いつつ、とりあえず箱に入れて押し入れの中にしまっていた。
お告げの通りだった。
さらに「あなたの所の墓地は本来の本堂の4本柱のうちの一本、西北に当たる隅柱のところまでだった。それがあなたが来る前にに先住さんの墓を建てるため裏鬼門の所まで墓地を拡張している。これはだめだ。そのままだと、檀家の人に頭が上がらんようになる。私の言うことを信じてやるんなら、今からその浄化を始めなさい。石ころだらけの、因縁だらけの、その一つ一つを浄化して、きれいにして、そうしてやっておれば自分の願いがかなってくるのよ」
そして「今日は遅いからな、なんだったら、うちに泊まっていき」とも言ってくださったが、丁重にお断りして八浄寺にまっしぐらに帰った。
続く