今朝は、因縁ほどきを司ると崇拝された、清瀧大権現(せいりょうだいごんげん)のご本地である、准胝、如意輪の合行念誦を、滅罪生善のために修す。
昔、故K大僧正が清瀧大権現の御神示により、創立した清瀧教団があり、因縁よけを指導されていた。いまでも、その流れを汲み、指導されているところがある。
ただ、その二元論的な理論ならびに実践法においては、すべてそれで説明するには、少なからず難があるように、私にはおもえる。
しかし、その中の人は先祖過去三代(単純には14人)の影響を大きく受けるというところは、経験的にそうであると感じている。もちろん例外もあると思うが。
そこで、過去三代とそこにまつわる霊の施餓鬼供養をつづけると、功徳が大きいことがわかってきた。(現存すれば、滅罪生善の逆修供養)
それは一度にでなくても、一体一体を根気よくおこなうことも可能である。
(余談だが、私の兄弟弟子で、在家のときに、この因縁よけを指導するお寺で、ニ座式供養という施餓鬼の応用を、一回、百万円以上のお布施で修してもらったのがいた。
それを聞いて、 同じ方法を五万円で伝授してやるよと冗談で言った覚えがある)
ただ、先祖の因縁みたいな言い方は、儒教的かなと思う。仏教としてはどうなのだろうか。
それぞれのご先祖の影響をうけるところにうまれてくる、前世の業ということかもしれない。
やはり滅罪の主軸は、あくまで自分自身である。いいかえれば、先祖は自分の霊的な部分を開いた、ある種の投影なのだろう。そこを供養という形で、善根を積み回向することで、自己の滅罪がはかられるのだ。
それはさておき、准胝観音は二大龍王に支えられている蓮の上に座している。難陀龍王と跋難陀龍王の兄弟である。准胝観音の修法の大成就者である寛海豪潮大和尚には、この二大龍王が守護していて、常に吉凶禍福があればそれを大和尚に告げていたという。
よく餓鬼をみたようで、時々において隠れたところにいる餓鬼を感じて、施餓鬼供養をされていた。
ある日、たまたま風邪で臥せたところ、枕元にラゴラ尊者があらわれ、霊薬を授けたところ、即座に平癒したとつたえられている。
准胝尊と二大龍王