泉聖天尊(1862~1918)のおさとしに「理屈は抜きにして、ああ有り難かったと思えた時が「おかげ」の始まりぞ」とある。「おかげ」とは功徳のことだ。
施餓鬼供養をはじめた、多くのかたがたから、ご供養するようになって、心がスッキリしてきたというご報告を頂く。
実にこれも「おかげ」の始まりなのだ。
心がスッキリする。これが続くと、いつの間にか有り難くなってくるからだ。
「おかげ(お陰)」というくらい、神仏の功徳は、いつのまにか冥々のうちに授かるもので、はっきりとは分かりにくいが、心にその兆しが現れる。
心がスッキリするところから、正しく精進していくと「有り難い」を感じるようになっていく。その感じを維持できるように更に精進していくと、いつのまにか「有り難い」ことが起こるようになる。ただし期待しないで、いることが大切である。
弘法大師は
「境、心に随って変ず。心垢(けが)るれば境濁る」と説いている。逆に心が汚れれば、環境にも反映してくるので、気を付けたい。ご用心ご用心。