大森義成 滅罪生善道場 密教 善龍庵

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餓鬼とは 『密教夜話』から その1

高野山真言宗の故三井英光大僧正著『密教夜話』(東方出版刊、絶版)に施餓鬼供養についてわかりやすく書いてあったので、一部引用したい。同著の第二章、信心問答の「信心と霊魂」から。

 

 

 

問 餓鬼とはどういう意味ですか?

 

答 人は生きている間はいたずらに五尺の、肉体を中心とした欲に眼がくらみやすいのです。

 

殊にこのごろのように唯物主義や享楽思想が盛んになって来ると、ますます肉眼に見えぬ深い世界を思わぬようになるのです。

 

そもそも人間の肉体は業より表れたものであり、業はさらに宇宙の大霊が自らの内容を開顕せんがための生命の一つの流れなのです。

 

すなわち大霊は無数の業となり業はそれぞれに肉体を形成してそれを通して限りなき働きが展開されるのです。

 

しかるに人間は末端の肉体にのみ眼がくらんで業の深さ生命の深さを知る由もなく、いたずらに貪欲をたくましくして、人に与えるものは無性におしみ、他人のものは貪りとって飽くことを知らぬのです。

 

このような業のひとは、生きながらの飢えたる鬼、すなわち餓鬼であり、その人の肉体はたとえ死んでも貪欲(とんよく)の業のみはそのまま残って帰るべきところに帰ることができず、阿難の前にあらわれた餓鬼のような姿となってしまうのです。

 

ガツガツ食べたくても喉に通らず手足はやせ細って、いたずらに腹ばかりふくれた苦悶の亡霊となるのです。

 

私たちが心眼を開いてみれば、この世にはこのような業の亡霊がウヨウヨしているのですよ。

 

このような業が根本になってそこから生まれてきた人間社会はさながら血みどろの餓鬼道です。互いに盗みあい奪い合い、戦いあい傷つきあっている今の世の中はさながら餓鬼道の巷です。

 

施餓鬼の法はまさにこのような亡魂を救い、帰るべきところに安住せしめる秘法なのです。

 

作法の外見はわずかに一器の浄飲食(じょうおんじき)を清水に流すにすぎませんが(義成注、三井大僧正のお寺は川施餓鬼を行事としていた)秘法をもってすれば一の中に無限を盛ることができるのです。

まさに世界真実平和の勝れた法なのです。

続く

 

 

※この本は残念ながら絶版であるが、三井大僧正著『加持力の世界』(東方出版刊)は再版されているので一読をお勧めする。

 

加持力の世界 https://www.amazon.co.jp/dp/4862492797/ref=cm_sw_r_other_apa_i_uW70DbAKB1XKF


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※昨日は海施餓鬼を修して、海中の群霊に回向し得脱を祈りました。あわせて諸施主の滅罪を祈りました。