大森義成 滅罪生善道場 密教 善龍庵

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信仰上の勘違い その4と5

その4は「頼めばいいのに、愚痴をいう」

 

泉聖天尊(大正時代に活躍した大霊覚者)が仰るには「神仏に愚痴を言わずに頼んだらよい。ただ頼み方にうまい頼み方がある」

それは「神様どうぞこの願いを頼みます。そのかわり私の手でできることは、村の事でも、何のことでも致します。あるいはこう致します」という、頼み方が上手な頼み方であるそうです。

 

ある意味、誓願をたてることです。頼んだら、あとはお任せしてすぐに行動ですね。

 

しかし、それこそ勘違いしてはならないのが、それが「金の鳥居を奉納します」とかいうことではなくて、何か自分の手で世の中のためにできることで、それを神仏のためとして行うのです。

 

つまりは、神仏と取引するのではなく、頼んだら、あとは慈悲の行、善根功徳を積む。

 

自分の状況に応じて、小さな善事をコツコツと、でも大丈夫です。

 

それが、神仏の後押しをうけて、巡り巡って自分のところに帰ってくるのです。ここが、ただ慈善事業をするのとは異なります。

 

注意するのは、自分の分限をこえた代償や無理な断ち物は、かえって身を滅ぼすので止めましょう。

 

その5は、「わが身に汚れがあるのに、神に塩祓いすること」

自分に不浄を感じるときに、神様に塩祓いするものがいたようで、これを戒めています。

もし忌中などで喪に服していても、さきに神におことわりをすればよいとのお示しでありました。

 

泉聖天尊は、よく悩める人の心得違いを神仏におことわりしています。それが、よく通じたのは、真心から拝んだからでしょう。

 

私たちは悲しいかな生きる上で過ちや心得違いを繰り返しますが、それに気づいて懴悔し、神仏におことわりをいれることで、霊的な変容がもたらされるのです。

 


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