鎌倉時代の華厳宗の高僧、明恵上人は釈迦如来を父と、仏眼仏母(ぶつげんぶつも)を母と慕っていた。
泉聖天尊は「生駒の神を父に持ち、八栗の神を母として」が口癖であった。
滅罪生善の極意は、父母が聖化するところにある。なぜなら、私たちは父母の煩悩により、生まれてきたからだ。それを修行により聖化すると菩提となる。これを煩悩即菩提という。
本日からの滅罪会の修行者は、宝篋印塔(法身の釈迦如来)が父となり、七俱胝仏母准胝尊が母となる。
仏道修行するためには、得難き人身を得なければならない。幸いに、今この人身を得るご縁を頂いた。それは過去七世の父母のおかげである。そのため滅罪会では過去七世の父母に報恩の回向をするのである。そのとき、過去七世の父母も聖化するのである。