このかたはとても真面目な修行者ですね。
困ったことがあるときは、ご利益を願うのは自然なことです。心配ごとやお願いごとがあるときは、遠慮なくはじめにしっかりお願いして、あとはお任せして、無心に行ずるのが良いと思います。
日本の小釈迦といわれた慈雲尊者は、毘沙門天に福徳を祈るのも、薬師如来に病気平癒を祈るのも、これらは皆、密教に入る門であると説かれました。まずは、そこから入り、終いにはその堂奥を目指すことが肝要です。
ただし、いつまでたっても、その入り口でうろうろしていてはいけないでしょうけどね。お寺にお参りしたら、山門まできて帰るのだはなく、御本尊のいます本堂までお参りしたいものです。
「善龍庵 大森先生
先日の滅罪会、三日間の懺法させていただきまことに有難うございました。
お釈迦様が父、准提様が母というお言葉に勇気づけられました。拙い自分のすべてをお預けする気持ちで拝ませていただきました。
また中日のこと、准提独部法で拝むときの私の心の持ちようを改めるべく気付かせていただきました。
特に身近の者に心配事がある時など、自身の滅罪よりも最後の「祈念」あるいは「ご利益」に心が傾きがちでございました。そのことの危うさについて「おさとし」をいただきました。今後は無心に一切をお預けして、ただただ滅罪念誦を続けさせていただこうと思います。
お導きに深く感謝申し上げます。」
山門(坂東札所 清水寺)