この出せばいい、出せば天のエネルギーが入ってくるということを、常岡先生は結核で胸を病んで教えられたのです。
当時、結核を治すにはきれいな空気を吸えばいいのだと言われていましたから、先生は小田原の海岸へ行って綺麗な空気を吸ったのだそうです。
ところが一緒に行った友達が目の前で喀血して死んでしまった。それを見て本当にがっかりしたというのです。
自分もそうなるのかなと思ったら、たまらなかったとおっしゃっていました。
それで今度は円覚寺で座禅をしたのです。ところが、座禅をすると妄想ばかり浮かんできて「あいつどうしてるかな。あいつに手紙書かなかった。これやらなきゃなあ、あれやらなきゃ」と色々な雑念ばかり入ってきて、自分みたいなのは救われんなと思って、またがっかりしてしまった。
その時に竹竿座禅というのを覚えたのです。
当時、先生が世話になっていた家のおばさんが、先が二股になった竹竿で洗濯物を干していたのを見て、その物干しの竹竿を借りて、手でまっすぐ立てて遊んでいたのです。
そうして、向こうに合わせて調子があってくると倒れない。向こうに合わせてやっているうちに、口をポカンと開いてバカみたいな顔になってくる。
向こうのことだけ考えているからこちらは空っぽになって真空になります。
これの方がよっぽど空になると思った。
それで向こうに合わせればいいんだ。そうすれば、こちらは空っぽになるということが分かったということです。
病気を気にするな、気にするな、と言われても言われれば言われるほど気になるのが普通です。
だったら病気を忘れることをやればいい。
右を見るなと言われても見たい。それなら左を見ることをすればいい。それをするには、どうするかといったら、忙しくやればいいのだと思い。それで一生懸命やったのです。
そこから常岡先生は開眼して行かれました。
こちらが空っぽになったらエネルギーが入ってくるということです。
そうするうちに、当時流行っていた岡田式静坐法の先生に出会って「お前も死にに来たのか、良い空気を吸おうなんて、お前のやってることは死にに来たのと同じだ」と言われてびっくりしました。
それで、「いっぺんすったら息が詰まってそれ以上すえんだろう、はいたら何回でも吐けるよ。それで苦しくなったら黙ってても入ってくるだろう。そこだよ」と言われて気がついたのです。
はあ、出すということはそれか、だったら便所だってどこだって、わざわざ小田原に来なくてもできるわ、と思ってそれで東京に帰って、その出す修行を始めたというのです。
結核の人は、だいたい頭が冴えて、神経がピリピリして人の欠点探しがうまい。
そして人を責める。それで神経がくたびれて肺に穴が開くのです。
私もそうなのです。非常に神経質で、自分が安らかでないからつまるのです。
それで穴が開いて、空気が吸えなくなってしまう。先生はそれに気が付いて、これではいけないと思って、自分を育てるために慶應大学を辞めて、修行を始められました。
靴磨きや下駄の鼻緒のすげ替えとか、そういう奉仕を各家庭を回ってなさったのです。
それから溝掃除したり便所掃除したり、そういうことをやって結核が治ったということです。その話を聞いて空(から)にするとは、そういうことかとまた思いました。
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