故金山穆韶師が、小僧時代に、親が子供の代理となって不動明王に病気平癒の祈願をすると、子供の眼病が良くなっていた例を見ました。
どうしてそのようなご利益が現れるかということについて、師僧に尋ねた時の答えが『仏を求めて』に記されています。これは代理での施餓鬼供養や修行にも通じますので、同著からご紹介します。
「また経典に心仏衆生是三無差別ということが説かれているが、仏の御心と我々の心とは根本は一つであるから、仏様のお覚りの大光明が一切衆生の魂の根底を照らし、私どもは如来の大覚成就したもうた時、同時に救われているのである。
ちょうど朝日が天に昇れば、世界の万物は一時にその光に照らされるようなものである。
しかし光のうちにあっても窓を閉めて暗室の内にいたならば、くらいと言うてな悩まねばならぬように、私どもは御仏の御光の家にいながら、自ら心霊の窓を閉めて色々の悩みを受けて苦しんでいるのである。
それで要は窓を開いて光を受けるにあるので、信念を凝らして心霊の窓を開くにあるのである。
そして仏智は誠に不可思議で念ずるところへ、その威神力が現れるのである。
親が子を想うて子に代わって祈念する時に、自身と仏と一切衆生の三心は、根本は平等一如であるから、子のところへその威神力が現れたもうのだ」
護摩修法中の金山穆韶師