須弥山の頂上に住む帝釈天の宮殿には美しい網み飾りがかかっていて、網の結び目の一つ一つに宝珠が取り付けられているそうです。
それらの宝珠は別の宝珠を映し出しています。別の宝珠もさらに別の宝珠を映し出すため、映り込みが無限に繰り返されていることになります、こうしたひとつの宝珠が無限の宝珠を映し出すと同時に、無限の宝珠が一つの宝珠に収まります。重々帝網と言います。
この私たち世界はまるで帝釈天の宮殿の網のような関係性を持っていると仏教ではときます。まるでインターネットのような世界です。
だから修行して自分自身が本来持つ宝珠が輝けば、他の方が持っている宝珠も自然に輝きだします。
一人の修行の力というのは、実は大きな功徳力を生み出すのです。
愛染明王敬愛修行会の体験談をいただきましたので、許可を頂いた上でご紹介します。
体験談
大森先生
お世話になります。
愛染明王敬愛修行、誠にありがとうございました。
色々と気づきがあり、
「やっぱり、行、って大事なんだな。」
と感じております。
毎日、ご縁のある神仏のお札とお姿には、日々、簡単な勤行をさせて頂いておりますが、それに加えて、このような「行」を、自身の意思で行う、というのが、
恐らく、とても意味のあることなのですね。
下記、簡単な所感です。
1日目:
初めての敬愛行。
次第の通りにさせて頂き、
当初は、「本当にこの通りにやって、私の行が、宇宙法界に広がる」とかあるの?
「こんな私でも簡単にできる、このような行で、
本当にいいの?」
と思いながらも、2回繰り返しました。
気になる人に、私と合わない上司の名前を挙げました。
2日目:
この日も2回繰り返しました。
仕事の出張の帰りの電車の中で、
毎日礼拝をしている仏様のご真言を口ずさみたくなって止まらなくなったり、自然とご真言を上げている自分を発見しました。
愛染明王さまのご真言も出てきました。
気になる人に、私と合わない上司と両親の名前を挙げました。(だんだんと増やしていきました)
3日目:
仕事において、変化が出てきたのを発見しました。
と言いますのも、あれほど、事前のメールで、
私が、
「この人の功徳を上げるために代理行をするのは、まだちょっと、、、」と、抵抗を感じていた上司と、
なんと、
営業戦略上の打ち合わせを電話で仲良くしている自分がいたのです。
しかも、この間に、仕事上でもトラブルがあり、
私と先輩の間にちょっとしたトラブルがあった際も、この上司が私の味方をしてくれ、間を取り持ってくれました。
また、4日目には、この「トラブルになった先輩」の名前も一緒に加えて、挙げて行をすると、
この先輩からも、電話があり、
私にとっても公平な着地点で、トラブルを解決することができました。
感じましたのは、
この法は、
調伏、とか、怨敵退散とか、
そういう法ではないのですが、
結果として、
敵対している人たちが、
なぜか、味方になってくれるような
徳が現れてくる?
というところでしょうか?
昔、神道の修行をしていたことがあるのですが、
その時に、
徳が備わってくると、
●自分を攻撃しようとしてきた蜂が味方になる、
●自分を襲ってくる大蛇(おろち)も味方になる
という、「蜂の比礼(はちのひれ)」「大蛇の比(おろちのひれ)」
というような状態になることを目指す、
というような、古神道に受け継がれている、
行があるのですが、
それに近い境地も徳を備える行が、
愛染明王敬愛行なのだろうか?
などと、感じつつも、
今後もこの行は継続させて頂き、
また10月も参加させて頂きたい、と
思っております次第です。
次はこの行を継続しつつ、
施餓鬼供養にも参加させて頂きたい、と
思っております。
どうぞよろしくお願いいたします。
このたびは、とても貴重な機会と、
素晴らしい行に出会わせて頂き、
誠にありがとうございました!