昔高野山の座主にまでなった故金山穆紹師は、若い時に、真言宗の布教発展のために大日如来一仏主義にすべきだという論文を書いたそうである。
これは浄土真宗やキリスト教と言った布教に長けた宗教をまねたようだ。
論文を書くだけではなく曼荼羅の諸尊を全て大日如来に戻すということで撥遣(はっけん)の法を一週間修した。その結願の日に寺の門前から火が出てお寺を焼いてしまい、合わせてその論文も灰燼に帰したそうだ。
様々な仏がいるには理由があるのだ。
さて、先祖供養や滅罪のためにどの真言を唱えたら良いのか?あるいは地蔵菩薩や観音菩薩どの仏が一番功徳があるのか?どの供養が優れているのか?
このような質問をたまに受ける。
一仏主義ではない。
分かりやすく言えば、私たち衆生の機根が多種多様であるから、それに応じて多くの仏様がいるのだ。
だから自分に縁のある仏様を拝み、真言陀羅尼を唱えれば良いのである。そこに優劣は存在しない。ただその人に相応した仏様があるのみである。
ただし、その時は中心になる仏様は定めておく。そして、仏様は集団で活動されるので、それを助けるご縁のある仏様合わせてお祀りする。
真言陀羅尼もそれに同じで中心となる真言を決めて、あとは助行として他の真言陀羅尼を唱えるのである。
ちなみに当道場では、ご供養は施餓鬼供養を中心とし毎日修行している。
助行として宝篋印陀羅尼経法、光明真言法、理趣経法、地蔵尊印仏など滅罪の功徳が大きい法を彼岸やお盆などの行事ごとに修している。
追記、ただし教えには浅深はある。
9月の秋季彼岸会のご案内
9月23日から三日間、宝篋印陀羅尼経法を修行してご供養いたします。
詳細は下記リンクをご参照ください。