『月影のいたらぬ里はなけれども ながむる人の心にぞすむ』
法然上人の道歌です。
月の光が照らさない里がないように、阿弥陀如来のお慈悲の光はどんな所であってもあまねく照らしている。(光明遍照 十方世界)
しかし。その光を感じとり、お慈悲に預かれるのは、眺めている(すなわち信仰する)人の心によるのである。(念仏衆生 摂取不捨)
(※私の意訳なので浄土宗の解釈とは違うかもしれませんがその点はご容赦ください)
この歌は、念佛のみならず、そのまま加持の精神に通じます。
密教の場合は日の光にたとえられます。
如来の大悲が加持力となり、遍く私達にふり注がれています。こちらが素直な信心で拝めばそれを受けることができます。
しかし、その加持力を受け取れる度合いは、信じる心の大小によるのです。
これを准胝観音の大成就者、豪潮大和尚は「加持のこころを」詠むとして、
秋の野の 草の葉ごとに置く露の
そのほどほどに映る月影
という道歌をのこしてます。