私たちは様々はご縁によって生かされています。
しかし、善く感じるご縁もあれば、悪く感じるご縁もあります。
怨親に等しく回向するとき、その善悪のご縁をともに生かすことができるのです。
私たちの心がけ次第ですね。
【ここから感想】
大森先生
東京都の○○でございます。今回で三度目となる滅罪会、誠にありがとうございました。さらに大般若結縁に御縁をいただきましたこと誠にありがとうございます。今回は実家の家族を代行者としておりましたので、本当にありがたいことです。
滅罪会は3回させていただいて、子供のころからの、思い返しても時に目をぎゅっとつぶってやり過ごすようなことどもも、御姿に向かって口に出して懴悔申し上げる機会をいただいております。
ただ私は鈍根であり、たいていの場合は何かこう感情に薄膜がかかっているように感ぜられ、まだまだやり込んでいかねばと思うことしきりです。
参加された皆様の中には涙もろくなったという方がおられましたね。
私の場合、回向文の「怨親一等」でものすごく胸に迫り、目が熱くなります。自分だけでしたら、「怨」のカテゴリーに入れた人間を許すこともなく(別に憎みぬくということでもないのですが)、供養を向けるようなことを考えることもないのだろうと思います。いくつになっても修行だと痛感します。
ただ私自身の心境はともかくも、御施餓鬼なども含め、御先祖や由縁の者、三界の皆様に供養を少しでもご供養をさせていただいていることは本当にうれしいことです。
滅罪会を通じ、何十年も前に亡くなった祖父母、親戚、若年で亡くなった友人、もはや居所も知れない学友のことを思い出しております。
今後ともよろしくお願いいたします。
今回はちょうど繁忙期にあたり、タクシーで帰宅後に懴法を行なうようなこともありましたが、心がぐっと安定するような副次的な御蔭もいただけました。
お知らせ
12月13日日曜日からの施餓鬼供養の申し込み締め切りは、本日9日水曜日です。よろしくお願いします。