弘法大師の『十住心論・一』 に次のように説かれている。
もしよく明らかに密号名字を察し、 深く荘厳秘蔵を開くときは、 すなはち地獄・天堂、 仏性・闡提せんだい、 煩悩・菩提、 生死・涅槃、 辺邪・中正、 空有・偏円、 二乗・一乗、 みなこれ自心佛の名字なり。 いづれをか捨ていづれをか取らん。
意訳
明らかに仏の秘密の名前のもつ深義を会得し、密教の境地を開いてみるときには、地獄と天界、仏の性質と仏になれないと言われているもの、迷いと悟りなどの、すべての聖(仏、正)なるものと俗(凡、邪)なるもは、すべてこれは自分の中の仏の名前である。だからどちらかを捨てて、どちらかを取るということはできないのである。
【ここから感想】
善龍庵
大森義成先生
こんにちは。
いつもご教導賜り、ありがとうございます。
そして先日のお施餓鬼供養もありがとうございました。
滅罪会とお施餓鬼供養と重ねてお願い致しましたが、その間“自心に本来ある仏様”の教えが大変尊く思われて、(他の方にも仏様がいらっしゃるのだなぁ)と勝手に想像を膨らませもしました。
そのような思いで毎日真言念誦を続けていましたが、なんだか自分と他者と先祖と三界万霊と御仏とそれぞれ光っているような、でも皆で1つのまとまりで光っているような、つながっているような…不思議な温かい気持ちになりました。
仏様の御教えはなかなか難しく、心でどのように受け止めたらよいのかわからないこともありますが、これからも長い時間を掛けて、仏様の教えを味わっていきたいなあと感じたお施餓鬼でした。