施餓鬼供養は一方通行ではなくお互いに供養する世界です。目に見えない世界から目に見える世界へと、その功徳がだんだん広がって、様々なわだかまりが解けていくのです。
【ここから感想】
大森先生
○○です!こんにちは。
6日から12日のお施餓鬼では叔父と義父の逆修供養をさせて頂き、大変お世話になりました。
お陰様で叔父は危篤を脱し容態は安定して意識もしっかりしている様です。
90歳を過ぎているので覚悟はしておりましたが、奇跡的な回復に驚くばかりです。
供養中、幼少から今まで、叔父にはいつも優しく可愛がって頂いた事を一つ一つ思いながら、報恩謝徳の気持ちを向けさせて頂きました。
いつか窓越しにでも、実父を連れて叔父に面会できる日が来ると良いなと願っております。
義父に対しては、菩提心に敬いの気持ちを持ちながら供養を心掛けました。
供養中、義父の父(漁師の船頭をしていて、義父が3歳の時に北海道沖で遭難して亡くなっております)と既に亡くなっている義父の母親、兄弟達が義父に寄り添って慈しむように頭を撫でている様子がイメージで浮かんできました。
その時の義父は幼子のような感じで、最初は泣き顔でしたが、やがて安心した様に笑顔になったのが印象的で胸がキュンとなり涙が出ました。
義父は、「オレは、父親の顔も知らないし、母親、兄弟とも一緒に暮らせなかった。親は居らんかったのも一緒!」と言うのが口癖なのです。
幼少期の淋しくて不安な気持ち、ひもじい心を未だに多く抱えていて、この歳になるまで全く癒えることなく、その気持ちが家族、周りの人を理不尽に攻撃する事へと繋がってしまうのかと思いました。
お施餓鬼期間中、抗がん剤投与で病院に行くことが有ったのですが、義父の車椅子をおしながら、何故だか乳母車をおしている気持ちになってしまい、ふと義父の顔を覗き込んだら嬉しそうな笑顔を見せるので、またまた涙になりました。
義父の心は、なかなか固くほぐれる事は難しいかも知れませんが、残された余生を少しでも心穏やかに、家族をはじめ今は亡き両親と兄弟、沢山の周り方々に、確かに大切にされ、愛されて今が有る事を僅かでも思い出してくれるよう仏様のご加護を祈るばかりです。
もうしばらく義父逆修供養のお施餓鬼続けさせて頂きます。
義父に対してまだ怒りに近いわだかまりを持っている主人が自分が施主にと言いました。
これも嬉しい変化の一つです!
大森先生、この度も本当にお施餓鬼供養の不思議、素晴らしさを改めて感じております。
お忙しい中、最後まで目を通して頂き心よりお礼申し上げます。
ありがとうございました。
合わせて納め万霊総供養の方も申込させて頂いて、しっかり一年を括りたいと思いますので宜しくお願い致します。
合掌