昔ある本を読んでいたら「心配する心で信心せよ」と書いてあった。つまり、心配しても何の役にも立たないので、その時は神仏を一心に信仰することが大切。
しかし、何事かあったら心配したり不安になるのは人としては自然なことである。まあ中には何も感じない人もいるかもしれないけれども、それはその人にとっては自然なことである。
ただし、心配をしすぎると正しい判断ができなくなったり。あるいは誰かの病気や怪我などのときに、周りの人が心配しすぎると逆に病人に負担をかけることになる。
整体の先生から伺ったのだが、心配しながら気を送ると心配する心まで相手に行ってしまうとのことだった。それでは本末転倒になってしまう。
凡夫の悲しさで、すぐに冒頭の言葉のようには切り替えられないと思うが、何事かあった時はまず心配していることをはっきりと認める。後は仏様を念じてお任せすることだ。
また心配してきたらそれを認めて、後は仏様におまかせ。この繰り返しである。
お知らせ
1月3日からの施餓鬼供養の申し込み締め切りは本日までです。