大森義成 滅罪生善道場 密教 善龍庵

懺悔 供養 祝福 報恩 敬愛 (c)善龍庵 大森義成 禁無断転載

動物が善知識となる

 動物たちも私たちと同じように生命の修行者なのです。時に動物が善知識となることがあります。身を挺して私達に様々なことを教えているのかもしれません。

 

【ここから頂いだメール】


大森先生

こんばんは。
この度は、施餓鬼供養(土地にまつわる神様、所縁の動物霊)を
していただきありがとうございます。
また、追善供養法を七日間、努めることができました。
お礼申し上げます。ありがとうございます。

 

今回の施餓鬼供養(所縁の動物霊(飼っている猫が捕まえてきた鳥、虫など含む))は、
一度、別の機会にしようと申し込みを取りやめた経緯があります。

 


申し込み締切日が過ぎ、日付が変わった深夜にみた夢です。

 

わたしは暗闇の中、自転車をこいでいます。
途中、足取りが重くなり、まわりが明るくなりました。車道を走っています。
そして、同じく自転車をこいでいるお婆さんに、追い抜かれました。
草むらがあり、そこで、私は止まりました。
草むらには、多数の子猫がいます。
中には、歯のない、口が大きく開きっぱなしの子もいます。
お婆さんも止まっていて、私と会話をします。
私はいつのまにか、リードをつけた子猫を抱いていて、前に歩き出しました。
すると、3匹の子猫がついてきます。
後ろから、お婆さんが「そのお兄さんは、もう飼えないのよ」と言いました。
そこで夢は終わりました。切ない夢です。

 

私は、この夢で思い出した事があります。
それは、幼い時、野良猫、子猫を飼うだけでなく、その子供たちを捨てたことがある事を。
また、わたしが大人になってから、
猫の避妊手術をしたとき、お腹に赤ちゃんがいた時が、あったこと。

私が幼いころは、野良の犬猫、捨て犬、猫を
多々、みることがあり、追いかけられもしました。


犬猫を飼うとなれば、「買う」のではなく、
雑種をもらうか、拾う、もしくは、向こうの方からやってくるものでした。
そして、いつの間にか、いなくなってしまう。
生きる(食する)ために、殺生するのではなく、
自分の都合(情操、心の支え)で、殺生してしまったのか。


「時代」「場所」「価値観」が、変わって、従っても「優しいもの」「弱いもの」が犠牲になる。


動物に対して、いろいろ思い出し、あらためて考えました。

 

私は、今まで
自分のことを漠然と動物に対してやさしい人間だと勘違いしていました。


私は、ご縁のあった動物たちに、懺悔します。
ごめんなさい。申し訳ありませんでした。
ありがとうございました。

 

夢は、観たいもの、時、内容、選べないので
興味深い夢を、数日のうちで、数回みたのは驚きでした。


今回の施餓鬼供養では、
忘れていた動物たちとの楽しい思い出、苦い思い出を思い出せました。
頭、理屈ではわかっていたことですが、
改めての「気づき」「実感」を、いただけました。
お礼、申し上げます。
大森先生、ありがとうございました。


ひきつづき、よろしくお願い致します。

合掌


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