大森義成 滅罪生善道場 密教 善龍庵

懺悔 供養 祝福 報恩 敬愛 (c)善龍庵 大森義成 禁無断転載

1月滅罪会の感想その2

  懺悔が進むと感謝の気持ちが出てくることがあります。

もちろん「感謝しなければならない」「感謝の気持ちがおきなければならない」ということではありません。

ただ自然と感謝できるというのは良い功徳ですね。

 

【ここから頂いたメール】

 

 

大森義成先生

 

この度もお世話になっております。大阪市の○○です。

 

今回3度目の滅罪会に参加させて頂き、有難うございます。

申し込みの時に「懺悔をする事ができました」と申し上げましたが、

そこから紐状に繋がった事がありました。

 

「懺悔をする事」というのは、私の傲慢さを反省した事でした。

仏様のお計らいだった事に気付かず、

少しばかりできる様になったからとしゃしゃり出てしまい、

その事に気付いた時、わが身をとても恥ずかしく、情けなくなり

「滅罪会の時にわが身の傲慢さを懺悔しよう」と決めました。

 

その為開白より一足早く、結願まで七日間やると決めて開始しました。

 

その後、食料の買い出しに行った物を冷蔵庫になおす時

何故か「今日も無事に食料を買う事ができた」とふと思い、

「あ!買い物ができる事は当たり前じゃないんだ!

有難うございます!」と

感謝の気持ちで心がほわほわほわと暖かくなりました。

 

日々仕事をする事、働いた分のお給料が頂ける事、

そのお給料で買い物をし、食事を摂れる事。

 

「頑張って仕事をしたのだから、お給料を貰って当然」

「そのお給料で買い物をするのは普通」と思っていた事は

全て私の傲慢さでした。

 

そう思うと、人に対して、家族に対して

生まれてこの方、数々の懺悔をせねばならない罪を犯して来た私は

「懺悔をした内容の全ての大本は“傲慢”なんだ」という答えに辿り着きました。

 

「私ごときの人は、世の中ゴマンと居る」と自己肯定ができずにいましたが

反面、心のどこかに

「自分はあなたより優れているから」という驕りと傲慢さがあるから

人に対してキツく言ったり、欲が止められなかったり

怠けたり、横着したり、自分の思う様にならないからと怒ったり…なんだなと思ったのです。

 

突き詰めれば、人が動物を食するのも

「人は動物より上なんだ」という傲慢さなのかもしれないなとも思います。

(お肉、止められてませんが…)

 

今回の滅罪会の懺悔は、犯した罪の数々を懺悔し

最後に「今懺悔した事は私の傲慢さ故です。傲慢な私を懺悔します」と

懺悔しています。

 

自分の傲慢さに気付くと、少し深い所から感謝できる様になって来た様に思います。

 

心がほわほわほわ~と暖かくなる事が気持ち良かったので

また暖かさを感じれる様、何事も当たり前だと普通だと思わず感謝する事を続けます。

これも欲ですね 笑

 

滅罪会にご縁を頂け、感謝致します。

 

これからもご指導の程、宜しくお願い申し上げます。

 

 

※次回の滅罪会は5月開催です

 


f:id:oomorigijyou:20210127181549j:image