この方は欠かさず施餓鬼供養続けておられます。
心がだんだんと穏やかになり、善事を心がけられるようになっていったのは、この方の精進の賜物です。
ダンマパダ(法句経)に次の句があります。
悪事をしても、その業は、しぼり立ての牛乳のように、すぐに固まることはない。(徐々に固まって熟する)その業は、灰に覆われた火のように、(徐々に)燃えて悩ましながら、愚者につきまとう。
これは善事についても言えます。善根功徳を行ってもすぐに固まることはないのです。しかしいつのまにか徐々に固まって熟して行きます。
その善なる業は、少しずつ自分自身の凍りついた心を温めていくことでしょう。
自分自身のペースで、それぞれが善根功徳を積むということが大切です。
【ここから頂いたメール】
大森義成 様
いつもお世話になっております。
2月7日からの施餓鬼供養の申し込みをいたします。よろしくお願いします。
大森先生の施餓鬼供養と滅罪会にご縁をいただいてから1年が経過いたしました。
この間の自分の変化ですが、
①疑心暗鬼になることが少なくなったこと
②漠然とした焦燥感や不安感が無くなったこと
③他人を厳しく批判することが無くなったこと
④優しい目をしていると言われることが多くなったこと
等が挙げられます。
他に注意していることは、激怒しないこと(怒りを顕にした日は聖天様に懺悔しています)、他人の悪口を言わないこと、愚痴を言わないこと、です。
良い行動では、一日一善を心がけてます。道路のゴミ拾いでもいいし、他人に親切にするでもいいので、今日は良いことをしたと自分が思えるようにしています。
平成29年の暮れに国立国会図書館に調べものをした帰りに赤坂の日枝神社に参拝しました。拝礼のための順番待ちの列に並びましたが、自分の前の人が長いこと祈っていたので、ボケーっと待っていたところ、拝殿の奥の方からユラユラと煙のようなものが出てきて、自分の前で止まり、蕾が開くようにパカッと開きました。それは白い金属製の花のように見え、花弁の先と花の中心(雌しべの部分)に梵字が描かれていました。その花は車輪のようにグルグルと回転し、急速に回転速度を上げていきパッと消えました(自分は霊感などは無く、幽霊は一度も見たことがありません。)
自分が見たものは、ながものとか竜と呼ばれているもので日枝神社の御眷属だったのかな?と思っておりますが、その時、中央に描かれていた梵字が何なのか知りたくなったのが、密教に興味を持ったきっかけです(その梵字は当時は鮮明に覚えていましたが、時間の経過とともに記憶が曖昧になり、今ではよく覚えていません。当時はその梵字についていろいろ探しましたが、見つかりませんでした。)
それまでは鹿島神宮や香取神宮などの神社に行くことはあっても、寺院へは墓参りと観光以外に殆ど行ったことがありませんでした。
それが大森先生の滅罪会や施餓鬼供養に参加するまでになったので、ここ数年の自分の変化に驚いています。
お知らせ
2月7日日曜日からの施餓鬼供養は、申し込み締め切りが2月3日水曜日になります。
初めての方は必ず申込要項を読んでからお申し込みください。
詳細は下記リンクをご参照ください。
施餓鬼供養の申し込みについて - 大森義成 滅罪生善道場 密教 善龍庵