人間は様々な感情が起こります。それは当たり前のことです。
それを抑圧するよりは、ただ認めてあげて、そっとやさしい気持ちで祝福してあげても良いかもしれませんね。
ご真言を唱えて仏様にお任せするということもできます。
ここから頂いたメール
善龍庵 大森先生
いつもお世話になります。
そして遅くなりましたが春季彼岸会もありがとうございました。
施餓鬼供養や何かの折に仏壇に手を合わせていると自分の両脇に女性が一緒にお詣りしてくれているように感じることがあります。
なんとなく左後ろは祖母のように感じるので「あ~、おばあちゃん一緒に詣ってくれているんだ」と思いうれしいのですが、今回もそのような気配?がありました。右側の方はよく分からないのですが、一生懸命に拝んでくれているように感じます。
ただ、今回はその後ろにもたくさんの人(ご先祖様?)が一緒に修してくれている感じがあって大合唱のようになっているようにも感じました。とてもありがたくてうれしく思いました。
そして、大森先生が仰られたように私以外の彼岸会の申込みをされた皆様や大森先生も同じように今、修されていることを思いました。一人じゃないんだと大変ありがたく感じました。
また、私は、以前隣人に理不尽なことを言われた時の怒りがふっと沸いて来ることがあります。隣人の声が外から聞こえてくると身体に力が入ってしまいます。
それは過去の出来事だから今思い返して苦しむのはその隣人のせいではなく自分の心の持ちようなのだと頭では分かっていてもふとした瞬間にそのことがよみがえってきます。
しかし、彼岸明けの日の夢に隣人が笑顔で挨拶をしてくれる夢をみました。それでも夢の中の私は「この人とはもう距離を置いて付き合うべし」と自分を戒めていましたが、不思議と嫌な感じはしませんでした。
もちろんそれ以降もその怒りがよみがえることはありますが、少しずつ心が癒やされていけたらいいなと思えるようになりました。
何か自分にそういうもやもやがあるとき大森先生や羽田先生のブログにヒントがあったりすることも多く、きっとご神仏やご先祖様が「気づきなさい、そして手放しなさい」と言われているんだなと感じます。
今回も大森先生の不安への対処法を読ませて頂いたとき私に必要なことだとありがたく思いました。
身勝手な考えかもしれませんが、人間なのだから喜怒哀楽があって人間関係にも合う合わない人がいるのは当たり前だと思います。
ただ、そこで得た感情を上手く昇華しないと自分を苦しめることになります。だから私はそこを上手く切り替えることができるようになりたいです。
普段は不安なときお地蔵様の御真言を唱えています。そうすると不思議と穏やかな気持ちにもどれます。大森先生の不安への対処法もぜひ学ばせて頂きたいと思います。
このような気づきを今回も得ることが出来ましたことに感謝です。
本当にありがとうございました。
今年の春は幾分早足で訪れているように感じますがどうぞ季節の変わり目ですのでご自愛ください。
ありがとうございました。
合掌