仏様に近づきがたい時は、自分がこんな人間だと知られると、仏様に罰せられるのではないかと内心思っているからかもしれません。そう思うと仏様が怖いと感じるのです。
(親に知られると怒られるのではないかという感覚に近いものがあります…)
そして、たまたまなにか悪いことがあると仏様の罰だと思い込んで、実は自分で自分を罰しています。
仏様は罰さないのに、自分で自分に罰を与えているのです。
でも仏様は私たちを照らし見守り導く大慈悲のご誓願をお持ちです。
私たちのことははなから全てお見通しです。
そして、私たちは不完全だからこそ、仏様の前ではすべて打ちあけ、懺悔し、お任せすると、心の底からの安らぎを得ることができるのです。それが滅罪会の懺悔です。単に懺悔文を唱えるだけではなく本当に懺悔する行事なのです。
そして、敬愛修行には、必ず滅罪会の懺悔の修行が必要なのです。
ここから頂いたメール
大森先生
お世話になります。○○○○です。敬愛修行会に参加させていただき、誠にありがとうございました。
修行を通じて、以下の2つが現在の自分の課題だと感じましたのでご報告いたします。本やネット、会話の中から繋がっていった内容です。
①実は、心の中を他人に明かすのを怖がっている事を自覚できました。コトバが悪いですが、無自覚に過度に「ビビり過ぎ」なのだと分かりました。きっと本当の自分を知られるのが怖いのでしょう。
②思考の癖に問題があること。①に関係するのですが「男の子は強くあるべき」という考えが思ったより強い事もあり、物事を腕力で解決しようと脳内でシュミレートしつつ良くない事として否定する癖があり、この事が「自分の意図を実行しない」という設定を自分自身にしている (自己暗示ですね) ことです。
実際に暴力等を振るわなくても攻撃的な気持ちは他人に伝わる。きっと脳内の自分はキャンキャン吠える小型犬なのでしょう。昔、父に対し「ビビりを暴力でごまかしてやがる」と思っていたのを思い出し、成程これが投影かとも感じました。
今後も修行を継続しつつ、自分自身の問題を解決していく努力をしていきます。自分だけでは分からない問題に対する気づきを与えてくれた愛染明王様には感謝の念しかありません。
また、毎年4月にお伊勢参りしているのですが、今年はお祈りの質が変わったと感じました。なんか深くなったと思いました。お祈りと言っても今年も無事にお参りできた事への感謝と来年も無事にお参りできるようにお願いしているだけですが。なんにせよ、ご縁が深まったら嬉しいです。
追記
ご報告してなかった前回の施餓鬼供養と春季彼岸会の感想は以下の通りです。
①聖天様への月参りの際、お堂の外の沢山の何か(ご眷属と感じました)が感謝の念を伝えてくれました。
②亡き父が夢に現れて「ありがとう」と言ってくれた。
③最期の数年老犬介護で寝たきりだった犬が夢に現れ、元気に飛び回ってくれた。
誰であれ他人様に喜んでもらえるのは、本当に嬉しいですね。
④母方はイヤな感じがちょっと薄れてきました。ちょっとずつ関係改善しているかもしれません。
以上、ありがとうございました。長文で失礼しました。
5月滅罪会のご案内
下記リンクをご参照ください。
申し込み締め切りは5月13日です。
今回から許可制になっております。
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令和3年5月滅罪会のご案内 - 大森義成 滅罪生善道場 密教 善龍庵
待乳山聖天の灯篭