信仰を続けていくうちに報恩感謝の意識が芽生えることは、心の成長だと言えるでしょう。
報恩感謝の行事はそのための呼び水みたいなものです。
私達は自分の言葉を無意識に聞いています。
そして、それに反応します。
「ありがとうございます」を意識して言葉にしていたら、自然と心もありがたくなっていくのです。
ここから頂いたメール
こちら、陀羅尼報恩会で、修行させていただき、ありがとうございました。少し、しんどいのがなくなった気がします。仕事から帰宅しても晩ごはんを作れる余裕ができました。ありがたいです。
同僚からある日、『近所に定食屋ができたから行こう』と誘われて行くと、お年寄り夫婦が二人で仕切っている、狭い狭い定食屋さんでした。
何故かその壁には、ラミネートで加工された神社の写真が何枚も貼ってあって、同僚と『ここ、行ったことあります?』と話しながら見てました。そしたら、同僚が、伏見稲荷には行ってみたいなあとぽろっと言ったのです。ちょっとびっくりしました。
そんなこという人ではなさそうなのになぁ。顔はなんとなくキツネに似ておりますが、、、。
私も伏見稲荷には、行ったことがありませんが、いずれ行くことになるかもしれません。
先生のブログの記事、ありがたく拝読しております。
浄菩提心、合掌。