金峯山寺の故五條覚澄師は、以前その関係者に伺ったところかなりの霊能者であったということだった。
同師の著書である『霊話不思議』に様々な不思議な話が書かれている。
その中に「霊を満足させよー供養宴ー」という話がある。
その冒頭にこんなことが書かれている。
「修験者の心は常に供養を第一とすべきである。供養を忘れて万霊の感応は望むべくもない。
仏に供養し神に献供することは、すなわち霊の満足を得ることとなるのである。
これは仏教の本義である六波羅蜜の布施に相当するもので慈悲心の表現である。
万霊は常にこの供養を待っているということに留意すべきである。供養を十分受けておらないところには不平はつきものである。
仏教に施餓鬼という言葉がある。餓鬼に供養するということである。
言い換えれば供養を受けておらず、常に不足、不満を感じている霊の供養ほど功徳のあるものはない。」
この文章を読んで、私は感銘を受けた。
なるほど、私達が普段から行う密教の施餓鬼供養やお盆お彼岸などのご供養は、これが目に見えない多くの霊たちの喜びとなっているのだ。
三界万霊の供養は、多くの霊の仏果増進に貢献する慈悲行である。
慈は与楽 すなわち生善
悲は抜苦 すなわち滅罪
一方、ご先祖など縁のある方々からすれば、やっと供養に気づいてくれた子孫の存在はありがたい。ながく供養を待っていたご先祖ならば、その想いもひとしおだろう。
供養というのは、いわばその対象を意識して光を当てることである。
このように、私たちのご供養は有縁無縁の方々に大いに役に立っているのである。