守護霊の施餓鬼供養を申し込みされた方から次のようなメールを頂きました。
神仏や守護霊は目の前に現れなくても様々な形で私たちにメッセージを送ってくれています。
このメッセージは自分にとって好ましいものだけではありません。
ある時は逆縁で起こる場合もあります。
日頃からそのメッセージを受け取る素直な心を養っておきたいですね。
ちなみに密教では煩悩即菩提を説きます。
その実践として様々な修法を行います。
たとえば護摩の炎にくべるさまざまなお供え物などは全て煩悩のシンボルです。これを燃やすことで仏様の智慧の炎となるのです。
願い事を書く添え護摩木などはその最たるものですね。
あるいは聖天様のお供え物の大根、お酒、歓喜団は貪瞋痴の三毒だと言われています。
また施餓鬼供養においても、煩悩によって餓鬼道に生まれた霊を供養、得脱させることによって、大きな功徳を私達が授かるのです。
ここから頂いたメール
先日、ある人の動画を聞き流していたら、スポットライトを当てたように耳に入ってきた言葉がありました。
「もし、神様がいらっしゃるとして、捧げ物として、なにがうれしいか。
それは、誰にも言えない、誰かを許していない自分、どうしようもない、誰かを憎んでいる自分。
神様の存在理由は、そんな人を救うことだから」
体調がすぐれず、以前のように働いていない罪悪感に苦しんでいるときだったので、その切実な祈りに胸を打たれました。
大森先生の滅罪会で「仏様にお任せする」とおっしゃる意味が、ほんとうによくわかりました。
また、以前信仰しているお寺でトラブルがあったとき、「仏様は私のことを嫌いなんだ」とすごいショックを受けましたが、あれは、仏様が私を嫌っているのではなく、「仏様がこんな私のことを好きなはずがない」という私の恐れ、罪悪感の投影でもあったなと、時間が経ってから気がつきました。
認識が新たになるような、気づきの機会をいただけたことに感謝です。
これからも、どうぞよろしくお願い申し上げます。
准胝観音様 撮影 M さん