真心からの祈りと正しい供養は、すべてを浄化し解き放ちます。
神仏のご加護はありがたいことです。
【ここから頂いたメール】
大森先生
こんにちは。○○○○○です。ご無沙汰しております。
いつもお世話になり、ありがとうございます。
すぐにお伝えしたかったのですが、お盆になってしまいました。
しかし、修行しながらの一連の体験があったので、さわやかな気分でお盆の供養をすることができます。
滅罪、敬愛、感謝、赦し、供養は全てつながっていると感じたことをお伝えさせてくださいませ。
時系列順に言いますと、愛染明王敬愛修行会の時には親しい人との関係で、自分の母子関係の辛かったことを思い出しました。
代理供養をしていただいてから届け物を持っていったのですが、大叔母は前よりは穏やかになっていました。
これも施餓鬼のおかげをいただいたのだと思います。
ありがとうございました。
ところで、滅罪会の修行を始めた頃に大叔母に会った時、何十年も前に亡くなっている私の叔父にされた仕打ちを、今でも恨みに思っていることを書いた手紙を見せられました。
実はこの時とても嫌なことを思い出してしまい、私は気持ちをどう納めたらいいのかわからなくなりました。
4年前、母が亡くなったあとで母が書き残したノートを見つけました。
そこには私が母の思い通りにならなかったことを母が恨みに思っていて、こんな娘は将来必ず不幸になるという内容が綿々とつづられていました。
ゾーっとしました。
デスノートを自分の母親が書いていたなんてショックです。
まんがみたい。(笑)
そこに書かれていたことは今から20年ほど前のことで、母が書いたのもその当時だったと思います。
それは母が経営していた店の書類キャビネットにしまわれていたのですが、奥深くではなく、いつでも手に取れるような場所にありました。
なんでこんなものを残していたのか。
なぜ死ぬまでに処分してくれなかったのか。
母の心が恐ろしくて、悲しくて、私はすぐに破いて捨てました。
捨てて忘れてそんなものは存在しなかったことにしていました。
しかし大叔母が恨みの手紙を「忘れてなるものかと思って書いた」というのを聞いた時に、思い出してしまいました。
母も忘れないために書いたのか?
繰り返し読み返すために手元に置いていたのか?
せめて死ぬ迄には穏やかな気持ちになっていたのかどうなのか?
恐ろしいし悲しいし、どうしようもない気分になりました。
そんな気持ちを抱えて母と祖父のための施餓鬼をお願いしました。
結願の日に真言を唱えていた時に、ふと「この呪いは私には届かない」という言葉が浮かびました。
それから気持ちがスッと楽になって、恐ろしかった母と祖父の良い思い出だけが浮かぶようになりました。
それからしばらく経って、先日伏見稲荷でお山させていただいている間に、「お母さんはなんであのノートをこうなる前(死ぬ前)に始末しなかったんだろうと後悔しているよ」という声が稲荷山のどこかで心の内に聞こえました。
きっと伏見稲荷の神様が教えて下さったのだと思います。
滅罪、敬愛、感謝、赦し、供養あってこそ心も他者との関係も癒されるのだと思いました。長くなってしまい、すみません。
時節柄お体を大切にお過ごし下さいませ。