信仰を続けているうちに、自然に神仏にお任せできるようになります。
すると心が楽になっていきます。
たまに、ご先祖からの因縁を全部一人で背負う勢いの人がいますが、そんな必要はありません。子孫に負担をかけて喜ぶ先祖はいません。
私たちが供養する功徳によって、ご先祖様たちも私たちと一緒に修行できるのです。
さらには、ご同行の法界力にささえられながら供養は進んでいきます。
ですから例え調子が悪くて休んでも大丈夫なのです。
ただし、神仏に任せたからといって、無責任に放っておくのではありません。
これは「すてまかせにする」といい、気をつけることです。
神仏にお任せしてあとは自分の目の前の成すべきことを淡々と行うのみです。
【ここから頂いたメール】
善龍庵 大森先生
いつも大変お世話になっております。
明石市の○○でございます。
新しい施餓鬼供養要項をお送りいただけますよう宜しくお願い致します。
少し前、自分はご利益信仰だから邪神と繋がって心の安寧が得られないのか?と考える事があり、しばらく悩んでいた所、先生の6月の記事に「長年、様々な修行を行って試行錯誤を重ねていくうちに、少しずつ深めていっているのである。」とあり、そもそもご神仏とのご縁は去年1月から繋がったばかり!そんなに直ぐ安寧が得られなくて当然だとわかり立ち直りました。
去年1月終わりに伏見稲荷大社にお参りし、11月に三社の神棚をお祀りするようになりました。
去年6月終わりに祖母の施餓鬼供養を初めてお願いして以降、今の心は邪じゃないか?など常に自己チェック機能?が働くようになりアラームだらけで落ち込む事も多々ありますが、ピンク色に染まった梅の木にウグイス色のメジロを間近に見て何だか幸せ〜と感じている自分に驚きました。
(肉などの食材を使わず、捨てることや、食べ残しにはめちゃくちゃ厳しくなり、スパルタ並みです(笑))
気づけばいつの間にか自分の事はお願いしなくなり、不安な気持ちになる時もありますが、まぁ、いいか、成るように成るさ!と、この先はわかりませんがご神仏にお任せする気持ちでいられるようになりました。
性格は変わっていませんが、何か自分の意識が少し変わってきたなぁーと自覚しています。
また、参拝記録を読み返し去年からの事を振り返りました。
色々ユニークだなぁと思うような不思議な事やご利益を授けていただいた事を思い出し、感謝の気持ちが込み上げてきました。
大森先生とのご縁、ご神仏のお導きに深く感謝申し上げます。
6月にお山した際に、念のため「私に悪いものが憑いていたら払って下さい。」と6つの拝所でお願いしました(笑)
熊鷹社は独特の雰囲気で毎回毎回緊張気味でしたが、今回お願いをした後鳥居の続く石段を2、3歩上がると急に霰が10秒程降ってきました。
偶然かも知れませんが、熊鷹社の神様が反応して下さったのかなと思い、急に親近感が湧いてきました。7月はリラックスしてお参りできました!
今後とも、どうぞ宜しくお願い申し上げます。
まだまだ酷暑は続きますので、お体ご自愛くださいませ。
難切不動尊から熊鷹社を臨む