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一水四見

一水四見(いっすいしけん)とは、

ここに河(水)があった時、それを見るものの境遇や心によって四通りに見える、という意味です。

 

目の前に河が流れている。

それを見る、

人間にとって普通の水。

魚にとっては自分たちが住む場所。

天人には、美しい水晶に。

そして、餓鬼には燃え上がる血の膿に。

 

同じ水も、人間・魚・天人・餓鬼とでは、それぞれ異って見えるのです。

 

 

これを、私たちに当てはめてみれば、悩み苦しみ、不安があるときは、外にあるすべてのものは自分を罰したり、悩まし、苦しめるものに見えます。

逆に幸せな時には外にあるもの全てが光り輝く世界に見えますよね。

 

不思議とそういうところばっかりに視点が行きます。

自分の心の状況にふさわしいものを集めると言われています。

 

前述の一水四見のたとえの通り、

自分に被害者意識があると、たとえそうではなくても周りのものが自分を攻撃しているように思えます。周りを加害者にします。

 

自分に加害者意識があると、周りにあるものによって、自分が悪かったなぁという罪悪感が生まれます。するとそれは周りを被害者にします。

 

それぞれ、そういう風に思うのは無理もないことなのですが、どちらも苦しいです。

 

 

 

 

それではどうすれば良いのか。

二つの心得があります。

 

一つは心の圧力を減少させることです。

悩み苦しい時は心の圧力がいっぱいいっぱいになっています。それを減圧して余裕を持つように心がけます。

 

信仰の立場では、

不安な時は、それを何とかしようとすることではなく。まずは私は不安なのでこれを仏様や神様に預けますと念じて真言なり、お経なりを繰り返すことです。

 

不安を何とかしようと抵抗するとうまくいきません。自分は今不安なんだということを自覚して認めてあげることが大切です。

 

それを心の蓋を閉ざさないで、そのまま仏様にさらけ出してみてもらうのです。こんな自分を全部見てもらう。

 

それで少し余裕が出てくれば感謝行をするのが良いです。感謝は感謝を呼びます。

 

 

もう一つは、自分の外側に起こるあらゆる出来事は、何か自分の魂が成長するために教えてくれているのであるという視点を持つことです。

 

これはかなり難しいです。

ただ、それが今はたとえできなくても、いずれはそうなりたいと意識することです。

それを無理やり思い込めということではなく、ほんの少しそういう視点を持つのです。

そのためにも心の圧力を少し下げておく必要があります。

 

 

 

自分の幸、不幸を外にあるものが決めるなら、自分の幸せの手綱は外にあるものが持っているということになります。

 

それよりも自分が決めていくのであると、手綱を自分が持つことができれば、自分で方向性をつけていくことができます。

 

 

 

何度も言いますがこれは難しいです。

そう簡単にはいきません。

そして大切なことです。

 

一水四見は、視点を変えれば、自分の世界が餓鬼の世界から天人の世界に変わることを教えてくれています。

 

 

 

さて、人生には人それぞれに応じて様々な苦しみが起こります。仏教では一切皆苦と教えています。

 

お金のない人はお金があればなぁと思うでしょう。皮肉なことにお金持ちにはお金では解決できない悩みが必ず起こります。

 

 

この二つの心得は、もし私たちに何か禍いが起こったとしても、それを福に変える力があります。苦しい中でも生きていく底力がついてくるのです。

 

これを「禍(わざわ)い転じて福となす」といいます。福にするのは私達です。

 

 

目の前にあるものが血の膿のままで良いのか、それとも水晶のように光り輝く世界に変えたいか、心一つの置きどころにかかっています。

 

どうせなら、目の前をハスの花が咲く極楽浄土にしたいですよね。

おんぼっけん(浄土変の真言)

 


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Sさん撮影