私たちはつい何か大きな変化を求めがちですが、変化というのは小さいところから始まるのです。池の水面に小石を投げた時に起きる波紋のようなものです。
この方の場合、ご主人が毎日追善供養をしたということが変化ですね!
ここから頂いたメール
大森義成先生
こんにちは。
横浜市の○○○○です。
10月10日からのお施餓鬼供養ありがとうございました。
今回は主人が施主、主人の友人の守護霊様のご供養をしていただきました。
特に何か起きたとか変化があった、ということもなかったのですが
めんどくさがり屋の主人がちゃんと毎日追善供養をしてました。
帰宅するとすぐに「○○(主人の友人の名前)の守護霊様拝もう」と。
遅い帰宅の日は「めんどくさいから、代わりに拝んで」と言うと思っていたのです。
この「代わりにやって」、普段はよく出てくる言葉なのですが
お施餓鬼供養では一度も出ませんでした。
私はついつい何かを期待しがちですが
主人はそういうことに無頓着というか、
7日間やり終えたぞ、終わり!と晴れ晴れとしていました。
これが本当の信仰の姿なのかな、と私の方が気付かされたと思います。
この度はありがとうございました。