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施餓鬼供養の功徳その172

私たちはつい何か大きな変化を求めがちですが、変化というのは小さいところから始まるのです。池の水面に小石を投げた時に起きる波紋のようなものです。

 

この方の場合、ご主人が毎日追善供養をしたということが変化ですね!

 

ここから頂いたメール

 

 
大森義成先生

 

こんにちは。

横浜市の○○○○です。

 

 

10月10日からのお施餓鬼供養ありがとうございました。

今回は主人が施主、主人の友人の守護霊様のご供養をしていただきました。

 

特に何か起きたとか変化があった、ということもなかったのですが

めんどくさがり屋の主人がちゃんと毎日追善供養をしてました。

帰宅するとすぐに「○○(主人の友人の名前)の守護霊様拝もう」と。

 

 

遅い帰宅の日は「めんどくさいから、代わりに拝んで」と言うと思っていたのです。

この「代わりにやって」、普段はよく出てくる言葉なのですが

お施餓鬼供養では一度も出ませんでした。

 

私はついつい何かを期待しがちですが

主人はそういうことに無頓着というか、

7日間やり終えたぞ、終わり!と晴れ晴れとしていました。

 

これが本当の信仰の姿なのかな、と私の方が気付かされたと思います。

 

この度はありがとうございました。

 


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