明日から滅罪会ですが、無理に自分の心の蓋をこじ開ける必要はありません。
自然に浮かび上がってくるものを対象とします。
それは自分の心がこれはもう手放してもいいよというアイズです。
あと懺悔するというよりは、過去にあった嫌なことがひたすら浮かび上がってきたという人がいました。それらを抱えているよりは皆仏様に預けてしまおうという心の働きです。
自分の心が持っているある種の自浄作用です。
その作用に意識を向けることが大切です。
もちろん手放せないという人もいます。それはそれで構いません。
あるいは全く何も浮かんで来ない人もいます。
それはそれで構いません。
今はそういう状況なんだなということに気づいて、ただただ仏様の慈悲の光に照らされて、修行の流れに身を任すことです。
もう一つ心得たいのは、過去に嫌な目にあわされた相手に対して、今もその手綱を相手に持たせないことです。
過去の「あいつのせいで」今自分は嫌な感情を抱いているのは、自分の心の手綱を相手に手渡したままであるということになります。
もちろん強烈な体験があったり嫌な目にあったのですから、次にそういう目に合わないように覚えているのは自分の身を守る作用です。
言い換えれば適切な距離をとりなさいと言う健全な心の働きです。
ただし、そういう相手と今は関わりがないのであれば、相手を心に住まわせて自分の感情の手綱を手渡しておく必要はないのです。
大切なのはその選択権は自分が持っているのです。