次のようなメールをいただきました。
私たちは一人で生きているのではなく、過去無数のご先祖様とともに今生きているのです。
そこに気づき、意識を向けるのがご供養の意義です。
自分の心が信仰によって安らかになれば、ご先祖様すべてが安らかになります。
すると安らぎは広がっていき自分の周囲も安らかになっていきます。
ここからいただいたメール(ご本人の許可をいただいて掲載しています)
私事ではあるのですが、先日2年ぶりに実家に帰省し、先祖の墓参をする事ができました。
2年ぶりのお参りだったにも関わらず、久しぶりという感覚が全く無く、とてもしっくりくる感覚の中で拝む事ができました。
この感覚から感じたのは、お施餓鬼の尊さでした。
お施餓鬼のお次第に、供養の対象も一緒に拝むイメージだとより良いと頂いておりましたので、これまでずっとその様に拝んでおりました。
ですので、墓参には行けませんが、お施餓鬼の際にはずっと先祖と会っているイメージがありました。そういう事が影響してるのだろうなと今回の墓参で感じました。
お施餓鬼を通して、先祖と繋がりを持てるというのはとても有難いなと思います。
来年も引き続き、お施餓鬼をお願いしたいと思っております。今後ともどうぞ宜しくお願い申し上げます。