『弘法大師のみ教えを慕って 因縁・霊 ー恐怖からの脱出』から その1 - 大森義成 滅罪生善道場 密教 善龍庵
上記リンクのその1からの続きです。未読の方はその1をご参照ください。大切なことが書いてあります。
A さんの恐怖の実例
先日私(故 佐伯大僧正)は聖愛誌(注、高野山の機関紙)の愛読者 A さんからお電話をいただいた。
その大要を記すと
「私(Aさん)は某霊能者 B さんから『亡くなったあんたの〇〇さんが、えらいところに落ちて苦しんでいる。これをこのままほっといたら、誰それが死ぬ。あんたも死ぬゾ』と言われて、本当にびっくりした。
そしてそれ以来その言われたことが心配になり、とうとうノイローゼとなった。その後不眠症にかかり病院通いをしている始末である。
その時、平成元年12月号の聖愛誌の中の『霊能者に注意すべき点 八か条』を読んで私(Aさん)のために書いてくださったのかと思うほど、私の悩みにぴったりの教えで、これで救われる思いがした。
夜は布団の上にその本を乗せて休ませてもらっている。この B さんから言われたことに、私はどういう心構えで対処したら良いのでしょうか?」
というご相談であった。
❨中略❩
A さんの話によると、この B さんのご親族の方からあることで救われたことがあって、 B さんと知り合い、それから B さんは A さん宅に来るようになった。
ところが今度その B さんから「〇〇さんが苦しいところに落ちている。あんたも死ぬぞ」
と言われてびっくり仰天。
信頼していただけに打撃は大きく、そんなことがあってたまるかと B さんから離れてみたものの、その言われたことのために、とうとう病気になってしまったと、いうような事情である。
私(故 佐伯大僧正)もこれとよく似た体験をしたことがあるので、 A さんの恐怖のご心境がよく分かるような気がして、ご同情に堪えない。
さて(自称)霊能者の言われることは、霊の世界のことであるから普通人には全くわからない。先の A さんのように B さんから色々言われても、それが本当なのかデタラメなのか吟味のしようがない。信者の人たちは、それを鵜呑みにする他はない。
従って霊能者とその霊言を聴く人との関係は、(自称)霊能者による絶対支配と信者の絶対服従の関係となるわけである。
批判が許されるような自由な空気はない、と言ってよい。
実はここに霊言の危険性が潜んでいるのである。
その霊能者の霊言を鵜呑みにするのが嫌なら、Aさんや私(注、佐伯泉澄大僧正)のようにそこから立ち去る他はない。
しかしその霊能者を断念して、立ち去ることがいかに恐いかは、相手が(注、自称)霊能者であるだけに、不安のために A さんのようになりかねないのである。
私のように僧職にあるものでも「死」を覚悟したのですから、普通のお方は容易なことではなかったであろうと推察する。
ましてや「死ぬぞ」とおどされていたのでは、なおさらのことである。
このような霊的脅迫を受けながら、しかしよく A さんはBさんから離れられたものだと敬服する次第である。
それは正しい処置であったと私は思っている。
以上『弘法大師のみ教えを慕って 因縁・霊-恐怖からの脱出』(絶版 高野山出版社刊 佐伯泉澄著)p83 ~85 から引用
こういう悩みの人は心理的に弱っている時にやられがちである。迷っているだけに相手の言葉を鵜呑みにして操られてしまう。霊感商法の被害者と同じである。
対処法としては自分軸を大切にして、相手との心理的境界線を引くことが大切である。
しかし、そうは言ってもなかなか難しいかもしれないので、まずは自分を祝福することである。祝福することで自分の心の体力が出てくる。自分が弱っていると相手との境界線を引きにくいのである。これは対人関係の悩みにも使える。
さて次に佐伯大僧正はどうやって(自称)霊能者の不安から脱出したのかという話を、伝授の時にご本人から伺った話なども交えて次回ご紹介したいと思います。