お不動さんは残食者(ざんじきしゃ)といい、行者の残飯を食うと言う。それは私たちの煩悩を全部引き受けてくれることを表す。
だから悩み苦しみがおこったり、修行をしていて煩悩が起きたらお不動さんにあずけ任せることである。
そう。私たちの悩み苦しみは仏様のお供え物。ゆえに悩み苦しみというのは本当は尊いものなのだ。
実際私たちの悩み苦しみは、生きていく上での智慧に変わる。そして自分の成長の肥やしとなる。
しかし、そうなるには様々な修行と気づきが必要なわけで、そこに行くまではなかなか苦しいものだ。
だからお不動さんにあずけてしまって修行するのである。
あずけたぶんだけ軽くなる。
中にはあずけたくない悩み苦しみもあるだろう。
それはそれで尊重しよう。
重荷は背負うと力がつく。
自分がもつことで自分のタマシイの力がついてくるのだ。
でも持ちきれない悩み苦しみは遠慮なくお不動さんに持ってもらおう。
お不動さんはそれがご誓願なのだから。
これが身代わり不動の由縁である。