日本では、亡くなられた方が『浮かばれる』という表現をする。私はなかなか言い得て妙だと思う。これは日本の独自の霊魂観による。
ニュアンスとしては、重い魂がだんだんと軽くなるといった感じだろう。
仏教なら往生ではないかと思うが、こういう霊魂観は重要な意味があるので大事にしたい。年忌や法事などは、宗派の考えは建前で、その根底には日本的な祖霊観があっておこなわれているからだ。だから日本の仏教が葬式仏教になるのは重要な意味がある。
『お稲荷さんと霊能者』のなかで、砂澤先生が「新仏(亡くなったばかりの霊)は重くて困ります」と述べたと記されているが興味深い。
さて亡くなられた方が浮かばれるのには、こちら側が「思い浮かべる」ことが大切である。言い換えれば、忘れないで関わる(供養する)ことである。
よく「どなたをご供養したらよいか」と聞かれる。ご先祖はもちろんだが、気になる方(それはペットなども含む)を供養するといいですよ、とお伝えしている。
気になるということは、その人の心の中に浮かび上がってくるからである。
たとえその顔を見たことがなかったり名前がわからなくても、なんとなくでもいいので、意識を向けて思い浮かべるということが一番のご供養なのだ。
いいかえれば無かったことにしないのである。
年忌法要が33回忌まであるのは、それだけ故人を忘れないためにあるのだ。
そして浮かび上がってきた方を明確にするために名前(または戒名)を唱えたり、位牌や塔婆を作ったりして外在化する。お墓もそうである。ご先祖様のシンボルである。
そして、なんらかの供物を供え、読経などしてその功徳を回向する。わかりやすく言えば功徳のプレゼントである。それは見えない世界とかかわりを持つためである。
私たちは、形の世界に生きるので、シンボルを通じて無形の世界とかかわる。密教だと曼荼羅をつくり、供養することで仏さまと一体となる。
ご供養の時に五輪塔婆を作るのは、立体曼荼羅を建立しているのである。
お彼岸やお盆など年中行事のおかげで、節目ごとに忘れずに思い浮かべられるのでありがたい。
今日は私たちのご供養を、喜んで受けているだろう。