私たちは、普段思っているより深くご先祖様と結びついているのです。
それを意識できるか否かですね。
ここからいただいたメール
善龍庵
大森義成 先生
拝啓、陽春の候、ますますご清祥のことと存じます。
さて、このたびは、春季彼岸会を厳修していただきまことにありがとうございました。
おかげさまで、私も20日からの自宅での実修は無事に満願となりました。
ご本尊様、先生ならびに御同行の皆様に篤く御礼を申し上げます。
今回の気づきですが、メールでお次第をいただき、開封して根本陀羅尼を拝読すると、鳥肌が立つというと悪いたとえになってしまいますが、なんとも全身の毛孔が開いて毒気が抜けるような感覚がいたしました(その一回だけでしたが)。たいへんな貴い教えをいただいたと思いました。
御供養対象や御同行といっしょに念誦礼拝するという観想修行は、根本陀羅尼はまだ目で追って読む段階でしたので、正直うまくいかず、加えて覚えやすい心呪や小呪をもちいて、数珠一周にておこないました。
今回は特に、おそらく先祖の一門とおもわれる悲運の戦国武将の御供養も、気になる御霊として先生に施していただきました。昨年の先祖代々のお施餓鬼を契機に、ご先祖しらべの古文書閲覧をしていくなかでは城を奪われた甲冑姿の落ち武者のイメージをもっていました。
ほかの御供養対象のことなども思い出され、彼岸入りから開白前にはなんとなく悲しいややすさんだ気分でおりました。
22日開白の日の夢に、お顔は見えませんが紫の直垂姿(相撲の行司のような)の白い髷の品のいい老人と緑色の装束の若武者といっしょにあらわれ、老人が舞を舞い、一枚杉の大きな折敷をはさんで畳の間で対座するというなんとも古風な夢を見ました。
ことばもなく、誰なのか、なんのことかわかりませんでしたが、醒めてしばらくして、武将が総領と夢におでましになったのだと気づき、また、結願の日の先生の御法話に「御供養をみな受け取ってくれました」とあるのを拝見して、折敷が空だったのはそういう意味かと自分なりに納得でき、おかげをいただいたとすっきりとしました。
とりとめもない夢の話ですが、先生の御指導をもちまして、お彼岸の機会に、先祖代々という言葉には普段は見えない重みがあること、また、心のなかにおられる先祖を祭ることを体験できましたことをお礼を申し上げます。引き続きよろしくお願い申し上げます。
末筆ながら先生ならびに御同行の吉祥成就をお祈りします。 合掌