施餓鬼供養では、この方(または方々)を供養したいという意図が大事です。
原則、意図したところに功徳が回向されます。(そのご縁のあるところに余徳もいきます)
対象の名前がわからなくても、その方に意識を向ければかまいません。
東大寺のお水取りでは二月堂で過去帳を読んで、ご縁ある方々を供養します。
過去帳にまつわる青衣の女人(しょうえのにょにん)の故事は有名です。
鎌倉時代前期の承元年間(1207年~1211年)に練行衆の僧侶・集慶(じゅうけい)が「東大寺上院修中過去帳(とうだいじじょういんしゅうちゅうかこちょう)」を読み上げていると、突然青色の衣を着た女性の霊があらわれて、「何故わたしの名前を読み落としたのか」と恨めしげにいうのです。
集慶はとっさに低い声で「青衣の女人」と読み上げると、その青衣の女人は満足して消えました。名前がわからなくても、その対象を意識すれば供養が通じるという逸話です。
また「〇〇の霊を施餓鬼供養したいがいいか?」と質問をいただきますが、原則ご自身が供養したい対象(つまり気になるかた)は、すべてご供養するとよいです。
ご供養すべき時期がきたので、心に浮かんできたのです。ゆえにご供養すれば浮かばれます。自分軸でのご供養です。
いいかえれば、供養はその方々を意識することです。