真言密教で拝むのに特徴的なところは、曼荼羅の世界に入って仏の座にすわって拝むことである。古い曼荼羅には空席があって、仏が描かれておらず、そこは行者が座る場所だったと聞いたことがある。
そこでご本尊をはじめ様々な仏様にご供養をする。
その曼荼羅の世界に入るために、発菩提心真言と三昧耶戒真言を唱える。
これは阿闍梨のみならず在家の行者も同じことである。自分が拝むときに座る椅子や座布団が仏の座だと思って座ること。
私は曼荼羅の世界に入ったら、ご本尊を始め諸尊の全てが、私と一緒に真言を唱えていると観想している。これは阿息観の口伝の応用である。(正しい念誦の仕方はまた別にある。それは唱える真言の梵字が本尊と自分の間を循環する)
そして、この法界で修行する御同行も一緒に唱えていると感想する。
その真言の声が宇宙全体に響き渡っている。
法界の生きとし生けるものも唱えている。
生きとし生けるものに真言の功徳が行き渡る。
そして、その声がまた自分自身に戻ってくるのである。
すると自分が曼荼羅の中心に座っていることに気づくだろう。
そして、その座からたち、娑婆世界にもどり、それぞれが為すべきことを為すのである。
修法のとき行者が座る礼盤(らいはん)
獅子の飾りがあるのは、行者の菩提心が勇ましいさまをあらわす。そして獅子が必ず獲物をとるように、自在に人々を救うことができる意味である。
善龍庵内陣にて。