一ノ峰の主神 末廣大神
御本地は十一面観音
お灯明を上げてをご法楽
施主並びに修行者代理修行者各位の吉祥成就を祈念。
稲荷山の三つの峰の神様は時代によって、入れ替わりしている。中心となる神様も時代で違っている。だから私は今用いられている名称で拝んでいる。
私の恩師に伺ったところ神仏というのは、こちら側が「○○」してとして拝むので良いとのことだった。
例えば山の中にもともと龍神として祀られている神様を、○○弁財天として拝むということだ。
あるいはそれが神仏の託宣という形で名称が告げられることも多い。
どちらにしても、こちらの心に応じて頂けるのが神仏である。
仏説聖不動経に、
衆生(しゅじょう)の意想(いそう)
各各(かっかく)不同(ふどう)なれば
衆生の意(こころ)に隨(したが)いて利益(りやく)を作(な)し
所求(しょぐ)圓満(えんまん)す
とある。まさにこの通りである。
ちなみに仏説聖不動経は日本編纂の経典とされているが、短くても内容はとても深い。
密教の教理に通じている師によるものだろう。
お知らせ
5月1日からの施餓鬼供養の申し込み締め切りは4月27日水曜日です。