ただの木でも仏様を刻めば、木の中の仏様が現れて、掌を合わされる尊い存在となる。
ただの石でも菩薩様を彫れば、石の中の菩薩様が現れて。お供え物が上がる有り難い存在となる。
ただの凡夫と思っている私達はどうしたらよいのだろうか。この肉体では彫ることも刻むこともできない。
その代わり私達は喋ることができる。動くことができる。思うことができる。
だから、私たちは仏様の言葉と行動と思いを真似るのである。
これが口に真言を唱えて、手に印を結び、意に仏を念ずることだ。
すると次第次第に内なる仏様、菩薩様が現れてくる。
その修行の深まりに応じて、周りも次第次第に変わってくる。
それが内なる仏が現れてきた証拠である。