修行に対して疑念や抵抗がおきるのは珍しいことではありません。
むしろ心の深いところに影響している証拠です。それはそれで、よいのです。
それを認めつつ、諦めないで修行をつづけていきます。
これが精進波羅蜜です。
すると、その人の精進に応じて、ある時期が来るとその功徳を実感します。
疑念や抵抗は信心を深める糧となります。
頂いたこの感想は、すぐに懺悔することが浮かんでこなくても、この修行が心の深いところに響いていることを証明するお話です。
ここからいただいたメール
大森義成先生
早々に滅罪会の修行法を送付いただき、ありがとうございました。
東京都〇〇〇〇〇です。
昨日、お布施を入金いたしました。
修行法を頂いた5日は、まだお布施を送っていなかったこともあり、修行はせず、
プリンタがないので書き写しをし、大悲母准胝尊の真言を唱えて、滅罪修行いたしますので、よろしくお願いいたしますとご挨拶をしました。
6日の夜から始めようと思っていた、その夕方辺りから、
自分には滅罪は大切だと感じて、修行しようと思ったにも関わらず、何故か、こんなことにお金掛けてどうするんだ、こんなことして、何になるんだ、馬鹿じゃないのか、というような思いが胸にふつふつ湧いて来ました。
もう、修行が始まってるのかなと思ったのですが、そう言えば、何かやろうと希望すると、
上記のような思いが出てきて、自分で自分を否定し、邪魔をすることが多いと内省することから始まりました。
いざ、修行をすると、懺悔が出てこなく、准胝尊を見つめる静かな時間を得ることができました。
その内、胸から懺悔懺悔六根清浄という言葉が出てきたので、それもそのままにし、
修行は静かな時間を過ごすことができたのですが、懺悔に出てこなかったあらゆる感情が明け方の夢に出てきまして、目が覚めてもなかなか起床ができませんでした。
自分がかわいかったり贔屓目に見る割には、
本当は自分のことを認めたり、愛したり、許したりはしていないものです。
滅罪の修行始めが、連休中のタイミングで良かったです。
精進して参りますので、今後ともよろしくお願いいたします。
長文にて失礼いたしました。
准胝観音の大行者
右 六字明呪
左 一字文殊 一字呪
(宇野廉太郎著『豪潮律師の研究』昭和28年11月刊から転載)
お知らせ
5月15日からの施餓鬼供養の申し込みは本日11日までです。