大森義成 滅罪生善道場 密教 善龍庵

懺悔 供養 祝福 報恩 敬愛 (c)善龍庵 大森義成 禁無断転載

5月滅罪会の感想その1

修行に対して疑念や抵抗がおきるのは珍しいことではありません。

むしろ心の深いところに影響している証拠です。それはそれで、よいのです。

それを認めつつ、諦めないで修行をつづけていきます。

これが精進波羅蜜です。

すると、その人の精進に応じて、ある時期が来るとその功徳を実感します。

疑念や抵抗は信心を深める糧となります。

 

頂いたこの感想は、すぐに懺悔することが浮かんでこなくても、この修行が心の深いところに響いていることを証明するお話です。

 

ここからいただいたメール

 

大森義成先生

 
早々に滅罪会の修行法を送付いただき、ありがとうございました。
東京都〇〇〇〇〇です。
昨日、お布施を入金いたしました。
 
修行法を頂いた5日は、まだお布施を送っていなかったこともあり、修行はせず、
プリンタがないので書き写しをし、大悲母准胝尊の真言を唱えて、滅罪修行いたしますので、よろしくお願いいたしますとご挨拶をしました。
 
6日の夜から始めようと思っていた、その夕方辺りから、
自分には滅罪は大切だと感じて、修行しようと思ったにも関わらず、何故か、こんなことにお金掛けてどうするんだ、こんなことして、何になるんだ、馬鹿じゃないのか、というような思いが胸にふつふつ湧いて来ました。
 
もう、修行が始まってるのかなと思ったのですが、そう言えば、何かやろうと希望すると、
上記のような思いが出てきて、自分で自分を否定し、邪魔をすることが多いと内省することから始まりました。
 
いざ、修行をすると、懺悔が出てこなく、准胝尊を見つめる静かな時間を得ることができました。
その内、胸から懺悔懺悔六根清浄という言葉が出てきたので、それもそのままにし、
大悲母准胝尊シリソワカ大慈父宝篋印法塔シリソワカを三回唱えて懺悔を終えました。
 
修行は静かな時間を過ごすことができたのですが、懺悔に出てこなかったあらゆる感情が明け方の夢に出てきまして、目が覚めてもなかなか起床ができませんでした。
 
自分がかわいかったり贔屓目に見る割には、
本当は自分のことを認めたり、愛したり、許したりはしていないものです。
 
滅罪の修行始めが、連休中のタイミングで良かったです。
 
精進して参りますので、今後ともよろしくお願いいたします。
長文にて失礼いたしました。



f:id:oomorigijyou:20220511155301j:image

准胝観音の大行者
豪潮大和尚筆 梵字真言
右 六字明呪
左 一字文殊  一字呪
(宇野廉太郎著『豪潮律師の研究』昭和28年11月刊から転載)
 
お知らせ
5月15日からの施餓鬼供養の申し込みは本日11日までです。