大森義成 滅罪生善道場 密教 善龍庵

懺悔 供養 祝福 報恩 敬愛 (c)善龍庵 大森義成 禁無断転載

5月滅罪会の感想その3

善龍庵
大森義成先生

前略、このたびは滅罪会を厳修していただきありがとうございました。御蔭さまをもち
まして、実修も無事に結願となりました。ご本尊様、先生ならびに御同行の皆様に篤く
御礼を申し上げます。

今回は第二回目となりますが、滅罪の懺悔は、例示の通りからはじめましたが、1-2分
ですんでしまい、これは五戒のチェックと思いましたので、十善戒の順番でチェックす
るようにすると、ことばや怒りの罪を中心に結構でてまいりました。

 

日常勤行で十善戒を唱えているのは、こうしたチェックと懺悔の意味なんだという気付きをいただきました。


今回、先生から「過去七世の父母」について御法話がありましたが、「やみのよになか
ぬからすの声聞けばうまれぬさきの父ぞこいしき」という一休さんの不思議な歌を思い
出しました。子供のころは、「ないものづくし」のとんち歌だろうとおもって面白がっ
ていましたが、今回の修行で、ご本尊を父母と仰ぐことをあらためて学び、この歌は、
「無明の闇の罪業を心の声として懺悔することができれば、みほとけを慕う本有の菩提
心があらわになる」という深い歌かと私なりに気づくところがありました。

自行の開白の日には、ビニール袋に捕まえられて弱った動物を威嚇されながらも逃がす夢をみました。覚めてみれば、それは自分だったのかもしれません。

 

年初の星祭で、先生の御法話の「自分の運命は自分で握る」ということが、今回のテーマの「定業能転」であり、その具体的な方法として、内面から発露懺悔して自らを許す修行というものは、非常に効果的と感じた次第です。

我が身を省みると、恵まれたありがたいことも多い一方で、特に世間社会の立場上、自他に仕事の無理を通さざるを得ないという悩みや憂いも多く、滅罪会の中日には、修羅となるべき身の境遇を嘆き感情が噴出することもありました。

 

ふと、どこかの御法話
、「常啼菩薩」様のお話を聞いたことを思いだし、どうにもならない世間の苦しみを泣
きながら修行された菩薩様もどこかにましますのだから、「慈眼視衆生」の御法話の通
り、きっと准胝観音様も先刻すべてご明察の通りと感じ入ることがありました。

 

今回の修行は、前回より深いレベルで共感し謝罪を受け入れてくれる感覚でした。

結願後、お不動様守護修行会のご次第を拝して梵字ご本尊の観想を行ったところ、はからずもだいぶ明瞭になったような気が致します。

 

先生のブログの御法話でお許しをいただきましたので、11月まで滅罪生善を並行して自行につとめたいと思います。

今回も多くの気づきをいただきました。長文のメールをお読みいただきありがとうございました。


ご本尊様、先生とご同行の御縁にめぐまれ、誠に幸いに存じます。所縁の皆様の吉祥成
就をお祈りいたします。  合掌

 

宝篋印塔は私たちの聖なる菩提心の姿なのです。