真摯な修行者が増えてきたので、その方向けの内容。
①自分の修行を認める
たとえ短くても、なにがしかの修行を修めた事実を「今日も修行することができました」と神仏に感謝するとともに、認めること。
一休禅師は「一寸の線香、一寸の仏。寸寸積みなす、丈六の仏」と道歌を遺してる。
一寸の線香とは一寸の線香が燃える時間座禅したこと。それは一寸分の時間は仏になったのである。毎日一寸づつ積み重ねていけば、ついには大仏の寸法である一丈六尺にいたる。根気よく積み重ねるとついに修行は実る。
いきなり丈六の大仏にはなれないが、その一寸が大事。
認めることは事実をただ認めることで、「うまくできていない」などとジャッジしない。もちろんこれだけの修行をしたと慢心することでもない。
②人とくらべない
修行は競技ではないので、くらべない。
自分の修行は、自分のものである。
とくに不思議をもとめるのではなく、心が少しづつ安らかになるのが大事。
むかし、不思議な体験ばかり報告する方がいたが、不安だらけであった。
それでは結局は妄想とかわらないし、修行が深まっているとは言えない。
③生きる上で大波小波は必ずある
人は生きていると、かならずそれなりの大波小波が訪れる。
それは修行していても同じ。
修行はじめて初心のうちは、なにか人生上の問題がおこると修行のせいにする人がいる。心情的に迷うのは無理もない。ただし、そこで引っかかっていては、宝の山に入って手を拱いて出るのと同じ。
古今東西あらゆる宗教の指導者は一生涯艱難辛苦の人生である。
そういう指導者並みにはいかなくても、人生上の問題を乗り越えていく糧とするのが信仰や修行なので、そこを間違わないように心得たい。