真言密教に入門する修行者は四種心を発こすこととされている。
その中に、勝義心(しょうぎしん)といって、勝れた教えを求める心を持つことが三番目に説かれている。
これは密教にかぎらず重要で、この心がないと例えばカルト宗教などにはまってもそこから出ることはできない。視野がせまくなり、自分で考えて判断することが困難になる。いつまでたっても成長しない。
同時に、ちょっとかじって、わかったつもりで、すぐにやめるのも問題である。
もちろん危険だと感じるときは、自分のセンサーが反応しているので、すぐに離れるとよい。
仏教は律によって反社会的なことはしない定めである。これは密教といえども同じ。
一番中途半端なのが「わかってる」「しってる」「やっている」である。総じて慢心である。これが信仰の成長を止める。
どのような信仰もそうであるが、「無知の姿勢」が大切。
たまに指導していると「それはわかってます。やってます」という人がいるが、正しく修していればそれなりの結果はでるものである。うまくいってなければ何らかの問題があるのだ。
現代は情報社会だからすぐに情報が入る。密教もしかり。しかし、それが正しいかは別である。ネットを見ていると、たまにお坊さん?でも、人心を惑わす怪しい情報を垂れ流ししているのを見聞する。要注意である。
そして、なんでもすぐにものになるわけではない。
密教だけとっても、一生かけて(いやなんども転生して)修行し学ぶものだ。
わたしでも同じ修法の次第の伝授を何度も受けている。それでようやく、少しつかめたかなと思う程度である(もちろん愚鈍だからだが(笑))
東寺灌頂院の門