大森義成 滅罪生善道場 密教 善龍庵

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不動明王修行会の感想その46

不動明王利益和讃の「人の臨終に及んでは、断末魔の苦患とて、耳も聞こえず眼も見えず、舌根すぐれて物言えず。かかる悩みをのがるるに、この尊礼拝する外はなし。
この方は不動明王を念じつつ介護の現場に携わっています。明王の御誓願を生きるということですね。
ここからいただいた感想
いつもお世話になっております。
今日も不動明王修行会の謹行終えました。最近は通勤中も仕事中も脳内で、真言を唱えているようなものですけどね。
特養の医療系介護士と事務職員見習いとなって1か月が過ぎました。
未だにコロナ感染対応取っており、職員に陽性者も多い。職場で陽性者と接触し、私自身8月のうち半分以上を濃厚接触者として過ごしました。少し下火になりやっと入居者と関われるようになりました。今いる特養は、重度の認知症が多い。御婆さん同士が、怒鳴りあいの大喧嘩は日常的、各フロアで思い思いにいがみ合う。それでも広い間取りなので、私にはにぎやかで落ち着く環境です。特養では介護士が虐待している、という印象が強いと思います。現に逮捕される介護士もいる。恐らく内部を見る人は少ないと思いますが、現実は服を持って行った、財布がなくなった、返せと執着が強く似た者同士でいがみ合っている、またその裏には不安感も見え隠れするという姿は、色々と考えさせられます。これが人間本来の姿だと勝手に思っております。六道で人間様が畜生道より上というのは、私には考えられません。自分だけ滅罪の修行してサッサと一人でお浄土へ行こうという気も起きません。
最前線の現場時代とは違い、基本特養すべての利用者に関われる。見取りプランの人の所には毎日のように通っております。不動明王利益和讃の「人の臨終に及んでは、断末魔の苦患とて、耳も聞こえず眼も見えず、舌根すぐれて物言えず。かかる悩みをのがるるに、この尊礼拝する外はなし。」不動信者としてはまさに天職。明王と共に苦痛を楽にする職業。骨筋、内臓にとって安楽な姿勢を取るポジショニングは非常に重要です。ある意味、医療的な施術より長続きもするし効果もある。
イライラしているお婆さんも、奇策のような介護術で穏やかになる、時もある。
人間学、医学そして宗教の最終目標は、認知症の研究のような気もします。認知症精神疾患を克服できるとは思えませんが、うまく無効化はできるかも?と淡い期待を持っております。宗教的にも人生の最晩年がいきり立って過ごすというのは、よろしくないはず。宗教は本当に人間を幸福にしているのだろうか?と思う日々。‥と疑問に思っても私は信仰を持っておりますが。今、喧嘩に明け暮れているかのような年寄りもかつては己を正していた人たちであったはず。どれだけ苦労した人生でも、最期の最期でどんてん返しから安らぎを得られれば、と思います。
キツイマスクをつけての業務、酸欠といいますか頭痛に悩まされた8月。身体が動く限りは明王信者として、責務に励もうと考えております。
不動明王修行会ではないですが、盂蘭盆会で授かった般若菩薩の真言良いですね。妙にしっくりくる。
様々な神仏が私に研究の場を与えてくれた、そう理解しております。
大森先生、これからもよろしくお願い致します。